本山神社

熊本市中央区本山1(平成24年4月7日)

東経130度41分59.5秒、北緯32度47分16.94秒に鎮座。

 この神社は熊本駅の東北東約800m、白川左岸に鎮座しています。参道の入口に鳥居が建立され、北に約30mで境内となります。境内の売られは白川の土手で、その手前に入母屋造りの拝殿、透かし塀と流造の本殿が南向きに建立されています。

 御祭神:天之御中主大神、高皇産霊神、神皇産霊審
 由緒:当神社は元弘2年(1332)当時託磨郡(現在の向山校区を中心とした一帯)を支配していた領主託磨氏(別当(長官の意)太郎宗直)が崇敬していた第96代天皇光厳(北朝第一代天皇)をまつり万世一系国家安泰の祈願所として建立した神社である。
 当時代は後醍醐天皇の朝廷と足利尊氏の幕府との抗争により南北朝時代となり宗直は北朝方にあった。地方では、守護大名たちも南朝方、北朝方に分かれ領地を奪い合った時代であり、九州では豊前(大分)大友氏、薩摩(鹿児島)島津氏、肥前(佐賀)竜造寺氏等の諸大名等により肥後(熊本)を奪い合っていた。託磨郡の本山城(現在の白川橋袂)の城主託磨宗直は大友氏唐分かれた託磨氏である。
 或時、宗直が高熱におかされ、そのうえ領内は大洪水になり大変困った。そこで大亀を神前に供え祈祷し、その大亀白川へ放したところたちまちにして高熱も下がり晴天となった。それ以来、亀をお供えし、氏子に対して亀を食することを禁止したところ、ますます栄えたとの言い伝えが当神社の古文書に記されている。
  ※熊本市内の神社中、最古級と考えてよい本山神社である。

参道入口
参道入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
境内の様子
入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
透かし塀と流造の本殿

庚申塔 征露紀念碑