下河原四宮神社

菊池市下河原432(平成24年4月8日)

東経130度51分12.40秒、北緯32度58分16.78秒に鎮座。

 この神社は菊池市街地から23号線で南下、下河原交差点付近から201号線に入り、第二松島橋を渡り松島公民館を過ぎ、松野酒店角を右折、河原川を渡ったらすぐ右折すると正面に鎮座しています。入口に「下河原四ノ宮神社」と記された社号標が立ち、ご神木の陰に趣ある低い石塀が社地を取り囲み、参道途中に台輪鳥居。鳥居を潜ると石段が有り、その後平坦な参道の左に境内へと上がるやや長い石段の参道が続きます。石段を上がると左右に狛犬が居り、その後ろに二層の楼門。楼門内には木製の狛犬さんもいました。
 境内は深い緑に囲まれ、右手に手水舎。正面に妻入りの拝殿、弊殿、彫刻が施された本殿が建立されています。
 静かで落ち着いた雰囲気の、素敵な神社でした。
 

 御祭神:阿蘇十二柱神(第一建磐龍命、第二比当ス、第三國龍命、第四比東芬q命、第五彦御子命、第六若比当ス、第七新彦命、第八新比当ス、第九若彦命、第十彌比当ス、第十一國造命、第十二金凝命)
 祭礼日:10月13日
 由緒:大同2年9月13日創立
 人皇第51代平城天皇の御宇大同2年9月13日前の国司肥後守粟田鷹守朝臣の奏聞に依りて紀の熊人阿蘇第四宮比東芬q命を河原村金山に勧請す 後三條院延久2年菊池左近将監藤原則隆朝臣に肥後国を賜はり菊池に下向の後当社再興
 菊池2代右近大輔経隆朝臣斎田数項寄附以降代々崇敬 大永享禄の頃漸及破壊干茲城越前守親冬歎之加修覆時に天文年中也(自2年3年)菊池家歿後加藤氏入国の後家臣佐々備前給之時祭田被没収 以来者河原村一村の産土神と崇敬し神職は大同以来日置氏代々奉仕せりと云ふ 菊池氏祭田寄進状は寛永の頃焼失す
 明治8年村社に被列
 明治39年神饌幣帛供進指定神社となる

社号標
「下河原四ノ宮神社」
神社入口
参道途中に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「四宮神社」
参道の様子
境内へと上がる石段参道
石段上に居る狛犬
阿は口中に玉を含み、大きな頭部の頭上が扁平です。目立つ顎髭等、この地域独特の容貌をしています。(建立年代は読み取りにくかったので、もしかしたら間違っているかも知れません。)
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治31年(1898)6月13日建立)
境内入口に建つ楼門
楼門内にいる木製神門狛犬
上向きに咆吼する、滑らかな体表の狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内側から見る楼門
境内の様子
妻入りの拝殿
拝殿内の様子 拝殿内に掛かる額
本殿側面と正面

日露戦役紀念碑 猿田彦大神

豊かな鎮守の杜