菊池神社

菊池市隈府1257(平成24年4月8日)

東経130度49分6.12秒、北緯32度59分4.02秒に鎮座。

 この神社は、建武中興十五社のうちの一社で、菊池公園(菊池本城跡)内に鎮座しています。
 今、電子地図で見ると表参道の入口は菊池高校東にありそうなのですが、私達は県別地図を見ていたので神社マークが近い387号線沿いの駐車場に車を入れ、東参道からの参拝をしてしまいました。
 東参道入口にはこの社の鳥居と境内社の城山稲荷神社の入口があり、どちらから上がって良いものか迷いましたが、狛犬がいる東参道から上がり、東門を出て城山稲荷神社経由出降るのが最善の参拝かと思われます。
 鳥居を潜りなだらかな坂を上がって行く途中、眼下には菊池公園の桜が咲き乱れ、登りの疲れも感じません。暫く行くと表参道との合流点があり、右には狛犬が護る長い石段。上には神門が建立され、広い境内へと行きつきます。
 境内正面には、入母屋造りの大きな拝殿、弊殿、本殿が建立され、その右には境内社の城山神社が祀られています。拝殿左には参集殿、城山神社右には神楽殿が配され、東門を出るとすぐに神池、菊池武時公像、軍神松尾敬宇中佐像があり、城山稲荷神社が祀られています。城山稲荷神社からは稲荷の鳥居を潜りながら東参道入口へと降りていきます。
 参拝客は多いのですが、菊池本城跡ということで広大な社地を持ち、桜の名所の菊池公園が見渡せるおまけもあり、とても気持ちの良い参拝が出来ました。

 御祭神:贈従一位 菊池武時公、贈従三位 菊池武重公、贈従三位 菊池武光公、配祀:一族殉国戦歿の将士
 祭礼日:例祭・4月5日、大祭・10月15日
 境内社:城山神社、城山稲荷神社(稲荷神社・生目神社)
 由緒:菊池神社は熊本県菊池市隈府城山に御鎮座あり
菊池武時、武重、武光三公を主神とし一族殉国戦歿の将士二十六柱を配祀す
慶応4年(1868)7月17日(江戸を東京と改称当日)畏くも明治天皇は「菊池氏ハ曩祖以来累代皇室ニ勤労シ其精忠臣分ノ模範」と嘉賞し給ひ祭祀仰出さる
よって藩庁は菊池城址に社殿を造営し明治3年4月28日鎮座あらせられ明治11年1月10日別格官幣社に列せられる
(境内案内より)

 旧別格官幣社・別表神社。南北朝時代に南朝側で戦った菊池氏の3代を祭る。建武中興十五社のうちの一社である。
 境内に菊池歴史館があり、菊池千本槍など菊池氏500年の歴史の遺物が展示されている。桜の名所としても知られている。
 菊池氏は後醍醐天皇の倒幕戦争に加わり、南北朝時代には九州における南朝の主柱として奮戦した。当時の菊池家当主である菊池武時(第12代)、武重(第13代)、武光(第15代)の父子を主祭神に祀る他、菊池氏の一族26柱を配祀する。
 慶応4年(1868年)に熊本藩から明治新政府の参与に出仕した長岡護美が、菊池氏と加藤清正のために神社を創建する案を建議した。同年7月18日、太政官政府はこの建言を採択し、熊本藩に両者の祭祀を執行するよう命じた。後者については熊本藩は熊本城内に神社を建て(錦山神社、現加藤神社)、前者のためには菊池城址に当神社を建てた。当神社の鎮座祭は明治3年(1870年)4月28日に行われ、この時に主祭神を菊池武時とし、武重と武光を配祀神とした。
 明治6年(1873年)5月に郷社に列され、8年(1875年)7月には県社に昇格したが、その10月24日に楠木正成を祭る楠社(現湊川神社)が別格官幣社なのに菊池神社が県社では不公平だと白川県が教部省に願い出た。3年後の同11年(1878年)1月10日に名和神社とともに別格官幣社に列した。あわせて、その時まで配祀されていた武重、武士、武光、武政、武朝の5人に加え、菊池氏に従って戦った一族他家の将士も配祀することになった。同年6月3日に、菊池武時が戦死した元弘3年3月13日を太陽暦に換算した5月5日を例祭日に定めた。
 大正12年(1923年)に配祀されていた武重と武光を主神に加えた。
 昭和27年(1952年)9月13日に宗教法人菊池神社となった。
 本殿は三間社流造、棟に千木・鰹木を置く。拝殿は桁行5間梁間3間の入母屋造平入、正面中央に3間の向拝を付す。ともに屋根は銅板葺。
摂社・城山神社(菊池武房(菊池家第10代当主の菊池武房)・同重朝(同21代当主の重朝))
別宮・雲上宮(懐良親王・良成親王)
末社・稲荷神社(倉稲魂神)・生目神社(生目神)
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

387号線沿いの社頭
社号標
「別格官幣社菊池神社」
駐車場が近くにある387号線沿いの東参道入口
東参道入口にいる明治34年生まれの狛犬
扁平の頭上から垂れる長い耳、綺麗に並んだ平歯。大きく見開いた目と斜めに跳ね上がった口髭が目立ちます。阿は口中に玉を含んだ、素朴な狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治34年(1901)辛丑5月5日建立)
東参道入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額
菊池公園を眼下に見ながら北西に進む東参道
菊池公園は満開の桜の淡いピンクに彩られていました。
150m程東参道の坂を上がると、表参道との合流地点に行き着きます。
正面からの参道が表参道。右手の石段を上がると、神門を潜り、境内に行き着きます。
石段下、左右にいる明治11年生まれの狛犬
阿は口中に玉を含み、吽は鋸歯が特徴的です。太い眉毛に窪んだ眼窩、大きな垂れ耳、長く跳ね上がった口髭、刷毛のように筋目がはっきりとした尾の毛筋など、この地域の狛犬の特徴を思いっきり表現してあります。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治11年(1878)9月15日建立)
境内へと上がる石段の参道
神門
神門左右に奉納されている龍の置き物
境内の様子
参道の様子
入母屋造りの大きな拝殿
拝殿内の様子
流造の本殿

拝殿から向かって右に祀られる境内社:城山神社
御祭神:菊池武房公・菊池重朝公
城山神社拝殿
城山神社本殿

神楽殿
参集殿
猿田彦大神 絵馬

境内右手の東門
東門を出るとすぐ左には神池と石碑
菊池武時公像
軍神松尾敬宇中佐像

387号線沿いにある境内社:稲荷神社・生目神社入口
石段の参道と稲荷鳥居
坂道の参道の様子
幟旗と稲荷鳥居が立つ参道
稲荷神社・生目神社前に立つ稲荷鳥居
稲荷神社・生目神社拝所
稲荷神社・生目神社社殿
稲荷神社 境内ではお狐様ならぬ「生猫」様が
静かに鎮座して居られました。