日吉神社

菊池郡菊陽町津久礼 (平成29年3月10日)

東経130度48分37.64秒、北緯32度51分22.10秒に鎮座。

この神社は、JR豊肥本線・三里木駅の東1km程の辺り、津久礼の街中に鎮座しております。

御祭神 彦火火出見尊・伊邪那伎尊・踏鞴姫命・興津彦命・興津姫命

縁起
人皇83代、土御門天皇の御頃、正治2年(1200)3月15日、*斉院次官(従五位の下)大膳大夫、中原親能の四男、摂津守師員が、ときの将軍、源頼朝から肥後国合志郡(現在の菊池郡)の地頭職を命ぜられ、二子村(合志町)に下向して、近江国比叡山(滋賀県大津市坂本)から「日吉山王社」を勧請して守護神としたのが始まりである。
「日吉山王社」とは、古来より山王権現、又は、山王21社と呼ばれ、朝廷の尊崇が厚く、特に、室町中期に、太田道灌が、日吉神社を江戸城内に勧請して、大江戸の守護神としたことによって、全国にその名が高く、現在は「日吉大社」と称されている。この山王社は、21神が祀られ、これを三区分して、上七社、中七社、下七社とよぶ。合志郡(現菊池郡)においては「上七社」を住吉むら(泗水町住吉)に、「中七社」を竹迫村(合志町豊岡)に、そして「下七社」がこの津久礼日吉神社である。
この神社は、もと、この南方約500メートル地点の「日吉神社旧址」の地に勧請されていたが、延宝の始め(1673〜1680)たび重なる水難、天災のため、村を挙げて現在地に移り住み、併せて、神社も現在地に遷宮されたものである。・・・・・・・
境内由緒書き より。

*斎院(さいいん)は、平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両賀茂神社に奉仕した皇女で、伊勢神宮の斎宮と併せて斎王(斎皇女)という。斎王の御所を指すこともある。賀茂斎王、賀茂斎院とも称する。
賀茂神社では祭祀として賀茂祭(現在の葵祭)を行い、斎王が奉仕していた時代は斎王が祭を主宰してきた。その後も葵祭は継続されたが室町、江戸、戦後と三度祭が断絶したという。その後、1953年に祭が復活したことを契機として、1956年の葵祭以降、祭の主役として一般市民から選ばれた未婚の女性を斎王代として祭を開催するようになった。斎王代に選ばれた女性は唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)を着用し、舞台化粧と同様の化粧に加えお歯黒も施される。
ウィキペディア より

参道入口と一の鳥居

神額

二の鳥居

石燈籠
石燈籠に乗る狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

境内入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正4年(1915)11月10日建立)

拝殿内部

本殿

本殿正面


馬之神