甲佐神社

上益城郡甲佐町上揚882 (平成24年4月5日)

東経130度50分12.04秒、北緯32度38分23.91秒に鎮座。

 この神社は、甲佐町の中心地から緑川沿いに220号線で東に向かい約2.5kmほど進むと、220号線北に鎮座しています。背後には甲佐岳の雄姿が見え、入口に立つ明神鳥居を潜ると杉並木の参道。石段参道を上がると龍頭が乗ったり力持ちのお相撲さんが片手で支えている、変わった灯篭が左右に建立されています。
 境内に入ると右手に枯れてしまった樹齢500年を超える切り株から育ったひこばえが見事な銀杏があり、中央奥に千鳥破風付き入母屋造りの拝殿、弊殿と透かし塀内に三間社流造の本殿が建立されています。昇殿自由な拝殿内にはかの有名な「蒙古襲来絵詞」の拡大模写が奉納されています。恥ずかしながらその存在は知っていましたが、元はこの社の奉納物だという事は知りませんでした。又一つ、貴重な体験と学習が出来ました。

 主祭神:八井耳玉命(甲佐明神…健磐龍命の御子)、配祀:健磐龍命、蒲池比当ス、神倭磐余彦命、媛蹈鞴五十鈴媛命
 祭礼日:不明
 由緒:別名を甲佐三宮大明神とも云い、肥後国二宮で、旧社格は郷社。
 阿蘇神社(阿蘇市)、郡浦神社(宇城市三角町)、健軍神社(熊本市東区)と共に阿蘇四社と称せられる。肥後南方の守護神。
 もともと鏑崎宮(かぶらざきぐう)と称したが、神功皇后凱旋ののち、甲冑を納められたので甲佐宮と改めたと言われる。
 甲佐三宮大明神とも称するのは、一殿に甲佐、二殿に阿蘇、三殿に郡浦の三神を祀るため。
 鎌倉時代の武士・竹崎季長が 『蒙古襲来絵詞』を奉納した。
 なお、八井耳玉命(甲佐明神)については、健磐龍命の子速瓶玉命の異母弟説、神武天皇第二皇子神八井耳玉命の異母弟説、神八井耳玉命が阿蘇家の祖惟人命説、など様々な説がある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 甲佐神社は阿蘇神社の二の宮とよばれ、健軍神社、郡浦神社とともに阿蘇四社とされています。人びとからは肥後南方の守護神として信仰されてきました。
 阿蘇神社の主神である健磐龍命が朝鮮半島に渡り、帰ってくるときに対馬の女性を連れ帰りました。この2人の間に生まれた子が八井耳玉命=甲佐明神で、7歳のときに甲佐へ封じられたとされています。
 こうして、甲佐地方は甲佐明神によって治められるようになり、現在も甲佐神社には、この甲佐明神と仁寿元年(851)に祀られた健磐龍命ら阿蘇の神々が祀られています。
 又、この社には有名な「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」の拡大模写が奉納されています。是は次のような経緯から甲佐町在住の有志が「大絵馬10枚」を作成して甲佐神社に奉納、「蒙古襲来絵詞」が後世に伝えられる様奉納された物です。
 鎌倉時代に元軍(モンゴル)が日本を攻めてきました(元寇、蒙古襲来)。そのとき、勇敢に立ち向かった肥後の御家人が竹崎季長です。
 下益城郡豊福荘竹崎の生まれの季長は、見たこともない元軍の「てつはう(火薬で爆発する武器)」や毒矢を恐れず、命をかけて戦い、負傷するほど勇戦しましたが、彼に対して、幕府は恩賞を与えませんでした。不満に思った季長は鎌倉まで行って幕府に直訴し、その結果、戦功が認められて、甲佐神社の社領だった海東郡(宇城市小川町東部)の地頭職を獲得することができました。
 後日、彼が戦っている様子を「蒙古襲来絵詞」として描かせ、甲佐神社に奉納しました。「蒙古襲来絵詞」は、当時の武士たちの姿や戦い方を知る上でとても貴重な資料であり、明治時代に皇室に献上されるまで甲佐神社に所蔵されていたのです。
(「熊本県庁ウェブサイト」より)

社頭
入口に立つ明神鳥居と杉並木の参道 鳥居に掛かる額
参道の様子
石段参道
石段参道を上がると左右に建立されている変わった灯篭
左の灯篭には龍頭が乗り、右の灯篭は力持ちのお相撲さんが片手で支えています。
境内入口
境内の様子
参道の様子
千鳥破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
拝殿内に掛かる「蒙古襲来絵詞」は、鎌倉時代の元寇で竹崎季長が戦功を挙げた様子が描いてあり、当時の武士たちの姿や戦い方を知る上でとても貴重な資料となっており、明治時代に皇室に献上されて御物となり、現在に至っています。絵詞は縦幅約40cm、長さは前、後巻を合わせると約40mにも及び、その中から重要な場面を十枚選んで拡大模写してあります。
「蒙古襲来絵詞の絵馬」
10枚の額から4枚を抜粋してあり、額の絵は大きな文字で表してあります。
出陣する竹崎季長(文永の役)
突入する竹崎季長(文永の役)
奮戦する竹崎季長(文永の役)
追撃する白石六郎(文永の役)
恩賞を賜る竹崎季長
菊池勢の前を出陣する季長(弘安の役)
菊池勢の前を出陣する季長(弘安の役)
生の松原を出船する季長(弘安の役)

船上で奮戦する季長(弘安の役)
甲佐大明神への報恩の詞
弊殿と三間社流造の本殿
本殿木鼻・狛犬と象

社殿
社殿
社殿
甲佐神社御陵
御陵を護っていたと思われる狛犬さん。
負うたものが重すぎて力尽きてしまったのでしょうか?
石碑 当社二千百五十年記念碑
緑川上流通漕の碑 当社二千百年祭執行紀念碑

願成桜
ご神木・銀杏
嘗てこの社には樹齢500年を超える大銀杏があったようですが、30数年前の台風で根元で折れてしまいました。
その周囲から生えたひこばえが今では3本の銀杏に育ち、又、古い株を思わせるように周りに小さなひこばえが立ち並んでいます。