浮島熊野坐(うきしまくまのます)神社

上益城郡嘉島町井寺2827(平成24年4月7日再訪)

東経130度46分50.97秒、北緯32度45分8.22秒に鎮座。

 この神社は益城町に近い矢形川右岸近くに鎮座しています。周囲は「浮島周辺水辺公園」として整備された、とても風光明媚な地域に鎮座する神社です。神社西側には浮島池が豊かな水面を見せ、釣り人や散策の人々が静かな刻を過ごしています。
 「浮島さん」と呼び親しまれる神社ですが、実際は島ではなく、半島のように池の東側から池に向かって突き出た部分に神社が鎮座しており、参道の入口はその根元部分にあり、参道右には大きな案内板が立てられています。
 神社入口に立つ台輪鳥居には「熊野宮」と記され、鳥居前と境内入口には二対の狛犬が見られます。社殿前には珍しい「うき御守」が奉納され、その昔釣り具メーカーに勤務していた夫は懐かしがり、自分も「うき型」の御守りをいただいていました。又、境内には二柱の女性神を祀る厳島神社、赤女稲荷神社が祀られています。
 この社の分霊神は、熊本市内に3社、益城町に1社が現存しているようですが、長保3年(1001年)に創建されて以来、初代神主から連綿と神社を護り続け、現代も41代目宮司となられている井王家の方々には、心から脱帽いたします。

 御祭神:伊弉諾尊、伊弉冉命
 祭礼日:例大祭・9月15日、七草がゆ 人形流し・1月7日
 境内社:厳島神社、赤女稲荷神社
 由緒:当社は一條天皇の長保3年(1001年、平安末期藤原道長の頃)当地の領主・井王三郎直久(三代)の創建といわれている。
 直久は常々熊野大神を尊信し邸内に祠を建立し、住民の生活安定を願っていた。かねてから清浄な池のほとりに神殿移築を考えて適地を探していたが、ある夜大神のお告げで北方の山麓を掘ったところ清泉が二カ所より湧出したので更に開鑿を進めて約2.5町歩余の池が完成した。
 直久と領民は歓喜し社殿をこの地に移すとともに篤く尊崇し直久自ら初代神主となった。
 「肥後国誌」によれば「長保年中勧請ト云伝フ。社地島ノ如ク四辺ニ水アリ至テ清潔ナリ(中略)洪水溢レテ近境ヲ浸セトモ水此社地ヲ不浸故ニ里俗呼テ浮島ナリト称ス」と記されてい。
 往時氏子は井寺、北甘木(嘉島町)、櫛島、東無田、小池(益城町)、東、西沼山津、中、西無田(熊本市)の九ヶ村に及び井王領益城郡の総社であった。
 以後井王家は代々神官を務めたが初期の所領は文明3年(1470年、室町末期の応仁の乱頃)に悉く没収され神領だけ僅かに10町歩余となったが現存していない。
 細川氏入国後は歴代藩主の崇敬社として幕末まで毎年供料が贈られていた。
 現在は、井寺区150余戸の氏神として尊崇され又内外からの参詣者も多い。尚浮島は今も豊富で清冽な湧水と神殿がよく調和し優れた景観美を呈しているだけではなく稲作の灌漑用水としても永年に亘って地域の農業生産を支えている貴重な存在である。
神社の北方には三代直久を祀る水神「井王三郎神社」(イオノサムライ)があり、通称「いぼんさぶろうさん」と呼び「いぼとり」の参詣者も数多くある。
 社家井王家は元々京都在住であったが、平安の昔初代直行の時、この地に下向したといわれ、当主は第41代目、井王三郎直毘氏である。

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神社遠景
参道入口
神社入口
神社入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
境内の様子
社殿前にある珍しい「うき御守」
唐破風付き入母屋造りの社殿
社殿内の様子 社殿内に掛かる額

境内社:厳島神社
境内社:赤女稲荷神社・馬頭観音

境内から見る浮島池
浮島池北岸から見た、池と神社の鎮守の杜の様子