六嘉宮

上益城郡嘉島町下六嘉3321(平成24年4月7日)

東経130度46分14.75秒、北緯32度44分53.15秒に鎮座。

 この神社は嘉島東小学校の北北東約300mに鎮座していますが、神社前には見かけることが少なくなった半鐘が、見上げるような高さに設置してあります。未だ現役で活躍しているのでしょうか?
 入口に立つ台輪鳥居を潜ると参道右には石碑、左には手水舎が配され、正面に千鳥破風付き入母屋造りの拝殿、後ろの透かし塀内に流造の本殿が建立され、社殿右に境内社が二社祀られています。
 明るく広々とした境内、社殿等から、清々しさを堪能出来る神社でした。

 主祭神:健磐龍命、阿蘇都姫命、国龍大神、比東芬q神、彦御子神、若比盗_、新彦神、新比盗_、若彦神、弥比盗_、国造速瓶玉命、神渟名川耳神、配祀神:伊弉諾神、伊弉冊命、応神天皇、姫大神、天津児屋根命、姫神、斎主命、武雷命、底津少童命、底津男命、高オカミ神、闇オカミ神
 祭礼日:例大祭・10月17日、例大祭後の土曜日・獅子舞奉納
 境内社:六嘉天満宮、護国神社
 由緒:旧郷社。六嘉神社は第42代文武天皇の御宇、慶雲元年(704年)3月7日に、宮司家三宮氏の祖、阿蘇23代従三位大宮司宇治宋延公が、領地でありましたこの地に勧請して御鎮座御創建されました。御社殿は本田2宇東西に併立し、前面中央に拝殿1宇を構えた造りになっており、享保10年の再建で、御用材は六代藩主細川宜紀公の下賜された山林より供給して造営されました。
 六嘉の獅子舞は昭和36年に熊本県重要無形民俗文化財に指定されました。その名頗る高く毎年10月17日の例祭に於ける唯一の呼び物となり、昼夜2回此の舞楽を見物せんとして、社前はさながら人の山を築き、境内は立錐の余地なき程の群衆で賑う盛況さを常としております。
 獅子舞は全国に分布し、いろんな呼び方や形があり、皆それぞれ特色を持っています。20米の柱に雌雄の獅子が交互に登って、ボタンの花を投げる獅子舞は全国的に珍しい貴重なものです。
 細川藩時代は細川刑部家の知行地となり、応援庇護のもと、優れた伝承神事芸能として伝えられました。明治になりましても出水神社初代宮司細川興増男爵より、田地4反6畝歩を寄贈され、且つ大提灯9張を頂き、大正4年に11月3日刑部邸の大広間で獅子舞を演じたお礼に九曜と丸に一引両の紋章と旗一旒を戴き、今も道行きの先頭を行く慣わしとなっています。
(「熊本県神道青年会 創立60周年記念事業実行委員会 神社マップweb版」より)

社頭
入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
境内の様子
千鳥破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子 拝殿に掛かる額
透かし塀と流造の本殿

境内社:六嘉天満宮
境内社:護国神社
馬頭観音碑
御社殿再建記念碑・神殿合祀記念碑・神殿改修記念碑