相良護国神社

人吉市麓町35-1(平成19年6月25日)

 この神社は人吉城(繊月城)御館跡に鎮座しています。表参道入口、境内、参道は相良神社と共用しているようです。
 この社の創建は明治13年(1880)で、人吉・球磨地域の国事殉難の英霊4748柱を合祀しています。
 この社の鎮座する人吉城を築城した初代相良藩主長頼は、平頼盛の城代だった矢瀬主馬佑を討ち果たし、源頼朝から球磨、遠州、飾摩(しかま)、豊前上手の諸郡を賜り、人吉城に入城した後, 正治元年(1199)城の修築を開始しました。その時に三日月紋様の入った奇石が出土し、以後人吉城は繊月城(せんげつじょう)あるいは三日月城と呼ばれるようになりました。その石は、現在この社の隣に鎮座する相良神社に保存されているそうです。今のような城構えになったのは、相良氏20代・長毎の文禄2年(1593)の改築からで、朝鮮出陣で工事は一時中断され、慶長12年(1607)に再開、およそ30年後の寛永16年(1639)に天守が建てられないまま築城は終りました。

朝靄に煙る人吉城(繊月城)跡と球磨川、
右手 清兵衛門跡の石垣後ろが相良護国神社社地となっています。
神社表参道入口 今は神池となっている?
嘗ての人吉城のお濠
社名柱
郡市英霊4748柱合祀
参道境内の様子
正面に拝殿
参道右側に造られている神苑
社号標 拝殿
本殿