霜宮

阿蘇市役犬原(平成24年4月4日)

東経131度5分37.81秒、北緯32度56分41.05秒に鎮座。

 この神社はいこいの村駅の北約1.2km、阿蘇市の役犬原と竹原の境近くに鎮座している、阿蘇神社の摂社です。
 国の重要無形民俗文化財となっている火焚神事が有名で、その起源は神代の頃からとされ、現在も続けられる日本の奇祭の一つとされています。
 玉垣に囲まれた奥に細長い社地の入口には鳥居が立ち、火焚神事の案内があります。参道入口には今は使用されていない神橋が残り、その奥に鳥居が建立されています。参道には杉並木、その奥が境内となっています。境内入口には藤原基長の歌碑があり、明るい境内中央に昭和54年生まれの狛犬が護る拝殿、玉垣内に弊殿・本殿が建立されています。
 標高の高い阿蘇では、昔は、梅雨時に田植えを行わざるをえなかったので、収穫の時期が遅く、早霜は非常に恐ろしいものだったそうで、だから、霜の害から農作物を守るための神事が欠かせなかったのでしょうね。

 御祭神:天津神
 祭礼日:8月19日〜10月18日・霜宮火焚神事(国の重要無形民俗文化財)
 由緒:創建の年代は不詳。
 阿蘇の開拓神「健磐龍命」の家来であり、健磐龍命に切り殺された「鬼八」の霊を慰めるためにお祀りされた神社と伝えられています。

鬼八と火焚き神事
 阿蘇の開拓の神「健磐龍命」は、弓の達人でした。往生岳に腰をおろし、北外輪山の大きな石(的石)に向かって矢を射るのを楽しみにしていました。家来の鬼八が矢を拾っていたが疲れてしまい、命が放った100本目の矢を足の指にはさんで投げ返した。大事な矢を足蹴にされた命は怒り、鬼八を斬りつけます。鬼八は逃げ、命はを追いかけます。命は南外輪山を超え矢部(現 山都町)で追いつき、鬼八を押さえこみました。
 鬼八は隙をみては、また逃げます。追いつ、追われつつ。命が鬼八の首や銅を斬っても、また元戻り。命はとうとう、首や銅をバラバラにして埋め、鬼八を退治しました。そのとき鬼八は、「阿蘇谷に霜を降らし、この怨みを晴らしてやる」と言い残し命絶えました。
 その後、鬼八の霊は阿蘇谷に霜を降らせ続けます。農作物は枯れてしまい、命は鬼八の霊を慰めることにしました。
 阿蘇谷の真ん中に「霜宮」をつくり、鬼八を祀り、毎年「火焚き神事」を行い、鬼八の御神体を温める神事が行われるようになりました。
(サイト「肥後国 くまもとの歴史」より)

神社遠景
社頭
神橋 神事案内板
入口に立つ明神鳥居
参道の様子
参道奥の杉並木
境内の様子
拝殿前、昭和54年生まれの狛犬
台座には「拝殿竣工記念」と記されています。他地域では昭和54年には岡崎現代型が主流で、この狛犬のような地域性のある物は殆ど見かけません。台座だけがこの時期に造られたのか、未だこの様な立派な狛犬を彫れる石工さんがいらしたのか、よそ者の私には判断できませんが、もしこの時期に彫られたのだとしたら、この地域には素晴らしい腕の石工さんがいらしたのですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和54年(1979)11月吉日建立)
拝殿
拝殿に掛かる額
弊殿と本殿
藤原基長歌碑 石碑
御神木