隼鷹(はやたか)天満宮

阿蘇市的石(平成24年4月4日)

東経130度59分35.8秒、北緯32度55分42.72秒に鎮座。

 この神社は市ノ川駅の西北西約1.7km、豊後街道沿いの的石に鎮座しています。この地は昔むかし、阿蘇大明神(健磐龍命)が、どんべん山(往生岳)の山頂から的石にある大岩に向かって矢の稽古をしたことから、その名が付いたと言われています。
 鳥居を潜り参道を進むと、左に市指定史跡・的石御茶屋跡が見えます。ここは参勤交代の時の藩主の昼食の場所だった処で、庭園内に御茶屋泉水と呼ばれる湧水地があり、殿様気分で素晴らしい眺めを満喫できます。更に参道を進み石段を上がると市指定天然記念物・小糸家の高野槙がスックと聳えています。
 その後も境内に向かって進んで行くと、神社北の水源池から溢れ出た清水が脇を流れる気持ちの良い参道歩き…。こんなにも水が豊富で清々しく景色の良い参道歩きが出来る天満宮は、初めてのような気がします。
 「天満宮」と記された二の明神鳥居を潜ると境内で、すぐ傍に古式豊かな、でも比較的新しい狛犬が居り、妻入りの拝殿、後の玉垣内に流造の本殿が建立されています。社殿右には大きな森の手前に水源池が広がり、静寂の中に色取り取りの鯉が悠然と泳いでいます。又、境内には熊本が生んだ孤高の大詩人・宗不旱の歌碑も建立されています。

 御祭神:管原道真公
 祭礼日:11月23日
 由緒:肥後藩主・三代細川綱利公(1661〜1712)が参勤交代のため、船で東上の折嵐に会い船は難航した。その時船柱に一羽の白鷹がとまり嵐は静まった。その夜藩公は夢にその白鷹は的石天満宮の現化との神諭を受け霊験のあらたかなるを感じられ、京都にて社殿建立を命ぜられた。
 昔は境内に茶房まで設けられていた。社内には四代藩主細川宣紀公(1716)と十代藩主細川斎護公(1842)の絵馬と額が奉納されている。
 元禄10年(1697)社殿再興 昭和50年神殿改築



社頭
参道入口に立つ一の明神鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
参道左に見える市指定史跡・的石御茶屋跡
参道の様子
阿蘇市指定天然記念物・小糸家の高野槙
樹齢約250年、周囲3m
水源池から溢れ出た清水が脇を流れる気持ちの良い参道を進むと、境内が見えてきます。
境内入口
境内入口に立つ二の明神鳥居「天満宮」
境内の様子
境内入口近くにいる昭和17年生まれの狛犬
垂れ耳で丸い目の中央に瞳が彫り込まれています。大きく横に開いた口の端には牙があり、阿吽共に綺麗に平歯が並んでいます。短く踏ん張っている前肢と水平に伸びる後肢の間に胴長円筒形の胴体が付き、肋骨のような線が彫られています。先代を模した狛犬なのでしょうか?とても昭和17年生まれとは思えない古風な貫禄が感じられます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和17年(1942)6月建立)
妻入りの拝殿
拝殿内の様子
本殿正面と玉垣外から見た側面
宗不旱の歌碑
『隼鷹の宮居の神はやぶ中の石のかけにておはしけるかも』
大きな森と水源池
澄み切った水源池の中を悠然と泳ぐ鯉
水源池から溢れ出て川となった湧水