高森阿蘇神社

阿蘇郡高森町高森409(平成24年4月4日)

東経131度7分16.03秒、北緯32度48分18.38秒に鎮座。

 この神社は高森の集落の南西、319号線に面して鎮座しています。
 石垣が組まれた入口には社号標が立ち、石段を上がると台輪鳥居。境内入口石段下は狛犬とも龍か麒麟とも見える異形の格好良い神獣がいます。上の境内には推定樹齢480年の南郷桧が立ち並び、深淵たる雰囲気を醸し出しています。上の境内正面には拝殿、本殿が建立され、本殿扉前には石像の随神さんが鎮座しています。又、境内社の天照皇大神宮、石碑と五重石塔、夫婦杉などの見所が境内に点在しています。

 御祭神:健磐龍命、配祀:阿蘇都媛命、外十九座
 祭礼日:7月30日・夏祭り、8月17 18日・風鎮祭
 境内社:天照皇大神宮
 由緒:元この神祠は、神社の裏山の中腹にあったと言う。本来山の神の信仰に起るものであろう。
 この社は、矢村社又は矢村大明神と称しており現在名は明治以降のことである。
 矢村社と称する由緒は「健磐龍命 阿蘇国に降り国土開発の時住むべき宮居を定めんと阿蘇山上に登り南北に向って卜矢を放つ、その一矢は今の一の宮町(宮地)なる十二の宮の地に落ち、一矢は南なるこの所の大石に当たり、これ今の御矢村の石にして寸余にわたる矢じりの跡を残すという。
 ここに一社を建て神矢を納めて矢村社と称す。
 その矢朽ち果てたるにより、新たに神像を奉安してこれに替え鎭祭す」とある。
 思うに本社はもと山の神に始まり農耕神として祀られこの社でその年の農凶を占う矢を射るなどの神事が行われたため起った社名ではなかろうか。
 中世に於いて南郷谷で水田に恵まれた豊作の地は、この社の西方市下・津留・中郷・竹崎それに連なる白川吉田の地であったろう。
 矢村社はこの地域を眼下にする景勝の地(宮山)で深い森林に覆われていたであろう。
 社はモリと呼ばれ聖なる樹林はモリでありヤシロとも崇められた。またその在る処は冬野と呼ばれるがミタマノフユ(神の恩頼)にあたるか。高森の地名もこの社の山の高い森に起因するのであろう。

南郷桧の母樹 昭和三十年九州大学佐藤教授に発見され命名  江戸時代細川藩主の帆船泰宝丸の帆柱として使用された。
豊年桜 宮山の中腹に在り、四百年を越す銘木 エドヒガンザクラで、毎春南郷谷では一番早く咲く桜として有名
石鳥居 元禄七年に建立され三百年を経、県下で十番めに古い。
手洗鉢 元禄十一年造である。
絵馬  嘉永・文政年間等あり。
夫婦杉 神殿左にあり、専門家に好評
境内  昭和六十年県民投票による「くまもと緑の百景」の一つに選ばれている。
観音  付属観音として信仰が厚い。
 *是より一キロ先道路右下、公孫樹の下御堂の中に立派な阿弥陀坐像が鎮座坐します。

神社入口
社号標 入口石段上に立つ台輪鳥居
元禄七年(1694)に建立された県下で十番目に古いものです。
参道と境内入口
境内入口石段下にいる狛犬?
台座には昭和52年建立と記されていますが、狛犬の太腿に判別不能の文字が記されています。もしかしたら昭和52年は台座の建立年かも知れません。面長の顔で、首から胸にかけて鱗があり、龍か麒麟のようにも見えますが、爪の形は狛犬で、小さな玉を踏んでいます。鬣や尾が阿吽で異なる、異形の格好良い神獣です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和52年(1977)建立)
推定樹齢480年の南郷桧
拝殿
拝殿内の様子
流造の本殿 左右から
本殿扉前に鎮座する石像の随神さん
仮殿兼神輿庫

境内社:天照皇大神宮
石碑と五重石塔
神池
神殿左に聳える夫婦杉