上色見熊野座(かみしきみくまのいます)神社

阿蘇郡高森町上色見2619(平成24年4月4日)

東経131度9分39.17秒、北緯32度51分1.85秒に鎮座。

 この神社は265号線・色見郵便局の正面に入口があり、そこから約300m程、灯籠が整然と立ち並ぶ石段混じりの参道を、自然の息吹を存分に感じながらゆっくりと上がっていきます。
 入口は石垣中央に石段、その上に鳥居が建立され、古色蒼然たる苔生した狛犬がいます。参道途中には厳つい狛犬や、神話の世界で鬼八法師が阿蘇大明神に追われ穿戸岩(神体山)をけやぶったときころげ落ちてきたといわれる岩塊、二の鳥居などが見られます。
 境内入口には昭和42年生まれの狛犬が開放的な拝殿前におり、拝殿を回り込んで上の境内入口にも狛犬。流造の本殿脇からは、杉林の間から穿戸岩(穿戸社)が望めます。見た目にはそんなに落差が無さそうに見えたのですが、実際登ってみると、一段一段の高低差が激しく、足下は不安定で、上がりが苦手な私は、何回休んだ事でしょう。
 阿蘇大明神に追われた鬼八法師が蹴破ったと伝えられる自然のトンネル・穿戸岩…、その荘厳な佇まいは往古の人々が畏怖の念を抱き、この岩を信仰の対象にしたのが頷ける景観です。そして喘ぎながら登る暗い杉林の中の閉塞感と、穿戸岩を抜けた後の開けた空間の、余りの落差には一瞬言葉も出ませんでした。
 この社の由来記に記されているような謂われや神話が生まれ語りつがれてきたのが頷ける、神秘的な雰囲気が漂う素晴らしい神社でした。

 御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命
 祭礼日:7月18日(奉納神楽)、11月18日
 由緒:上色見熊野座神社の由来
 創設は相当古く、紀州熊野より移したものと云う。由来、南郷の総鎮守として祭祀して来たが、従前の建物は天正年間に兵火により頽廃し、現在の物は享保七年に建立されたものである。
 里俗 穿戸権現
 阿蘇大明神の荒神、石君大将軍八葉の兜の中に出現のニ神は、熊野大神也と云える伝説によりて、社殿を建立せる処に、大鳥二羽来たり、神献すべき榊の枝を咥持ちて、東麓を指して飛び行き、洞窟の在る処に止まりたれば、その処に一社建立熊野穿戸社と崇め、南郷の総鎮守として祭祀し来たる。

上色見熊野座神社の由来 弐
穿戸磐(うげといわ)
 神話における穿戸
 古い昔、阿蘇大明神が弓を楽しみ、阿蘇山頂より矢を放たれた。この際、大明神の従者、鬼八法師が、主人の矢をいちいち拾い来る事を面倒くさく思い、足の指に挟み投げ返した。これに大明神が激怒し猛追され、当上色見の外輪山を越えて逃げんとしたが、この岩壁に阻害された。この時岩壁を蹴破って逃げ去った岩穴が穿戸である。その後、熊野社の創立は室町時代以降であろうと思われるが、次のような伝承がある。
「阿蘇大神の荒人神、石君代将軍、八葉の兜の中に出現のニ神は熊野大神なり」という伝説により社殿を建立するに当たり、大鳥二羽飛翔し来り神献すべき榊の枝を食い持ちて山の東麓を指して飛びゆき洞窟(穿戸)のある所に止まったので、そこに一社建立、熊野穿戸社と崇め、石君と同じく南郷の総鎮守として祭祀してきた。

歴史を背景とする穿戸
 上色見外輪山下の大村地区後方に、四〜五世紀頃の古墳が多く発見されている。そこに住む住民が信仰の対象として、尊い磐・稀有な岩穴である穿戸を崇めた事が始まりと思われる。古代人の神観念を考えると、巨石・大木・滝や山等、自然物は神が降臨して宿る依り代として考えられていた。つまり、自然物が神ではなく、人々の崇拝を通じて自然物が神になると考えられたからである。従って、稀有な岩穴は特別な処であり、「神気」を感じる処として、信仰の対象となったと推測される。
 祭祀が営まれるようになったのは、鎌倉時代末か室町時代初期と考えられ、我々の祖先が山嶽信仰と岩石信仰とを結び付け、この地に神社を建立したと思われる。また、この時代、熊野信仰の広がりとともに修験者がこの神社に紀伊熊野三山の伊邪那岐・伊邪那美二柱の大神を祀り、上色見熊野座神社(熊野権現)としたと考えられる。
 現在も里人に、『穿戸権現』として親しれ、崇められている事をみても、この地での「神気」に満ちた特別な場所であることがうかがえる。

 いざなぎ命 いざなみ命を祀る 享保7年阿蘇南郷北区の総鎮守として建立
 神殿はこれより150m月形山山麓にあり 神殿後方の穿戸岩には阿蘇大明神の従者鬼八法師が破ったと伝えられる大風穴あり
 農耕の神商売繁盛の神として敬仰を受く
 夏の外輪の緑秋の紅葉は絶景である




社頭
265号線沿いの参道入口
参道入口に建つ一の明神鳥居
鳥居脇にいる建立年代不明の狛犬
姿も体色も古色蒼然とした素敵な狛犬です。熊本のはじめの進化形とでもいえるのでしょうか?クリクリとした目に四角く突き出た頤先、太い眉毛、垂れ耳は渦巻き状の鬣と一体となり判別出来ません。垂直に立つ太い前肢と水平に伸びる後肢、長めで寸胴な胴体、背に張り付いた尾等が特徴です。
狛犬の拡大写真はこちらで
石段参道
石段参道途中にいる昭和41年生まれのごつい狛犬
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(昭和41年(1966)3月吉日建立)
豊かな自然の中、沢山の灯籠が立ち並び、緩やかな石段参道が続きます。
参道脇にある「さざれ石」
この岩は鬼八法師が阿蘇大明神に追われ矢部に向かう途中、穿戸岩(神体山)をけやぶったとき、ころげ落ちてきた岩塊なのだそうです。
参道途中に立つ二の明神鳥居 鳥居に掛かる額
立ち並ぶ灯籠と石段参道の様子
境内入口
境内入口にいる昭和42年生まれの狛犬
阿は小さな玉に手を置き、未だお若いのに環境の所為でしょうか?あちこちに苔を生やして、威厳と貫禄を感じさせています。金色の歯や牙が目立ちます。
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(昭和42年(1967)6月建立)
境内の様子
開放的な拝殿
拝殿に掛かる額 拝殿内の様子
上の境内入口
上の境内入口にいる昭和43年生まれの狛犬
阿は玉乗り、吽は蹲踞の混合型で、口蓋が目立つ狛犬です。
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(昭和43年(1968)11月建立)
流造の本殿

本殿脇から望む穿戸岩(穿戸社)と案内版
穿戸岩への参道入口
参道右側にポッカリと穴を開けた洞窟
神体山(穿戸岩)への参道は急坂に付けられた高低差のある階段で、中央にはロープが張られています。
神体山(穿戸岩)遠景
前方から見る穿戸岩
穿戸岩内部の様子
ここに来て手を合わせる方が多いのでしょうか?賽銭箱が置かれています。
穿戸岩をくぐり抜けると目の前がぱっと開け、南東の稜線が眼前に見え、その落差にさらなる感動を覚えます。
穿戸岩を反対側から仰ぎ見る。