白川吉見神社
阿蘇郡南阿蘇村白川2040(平成24年3月29日)
東経131度5分51.94秒、北緯32度49分20.23秒に鎮座。
この神社は南阿蘇白川水源駅の北東約500m、177号線沿いに参道入口があります。
参道入口には大正14年生まれの狛犬がおり、社名が記された額が掛かる明神鳥居が建立されています。参道左には「物産館」、右には駐車場があり、そこから約250〜300m位白川湧水から湧き出た清冽な川傍を、北に向かって参道が続きます。
神社の入口に立つ二の台輪鳥居右側に白川水源があり、此処には平日にも関わらず沢山の観光客が訪れていました。白川水源の水は驚くほど透明で、川底の砂がボコボコと吹き上がったり、水藻がゆらゆらと揺れているので、そこから水が湧き出ているのが直に見て取れます。神池と言って差し支えないのでしょうが、水深によって水の色が変化し、周囲の形式が水面に映え、久しぶりに「幽玄」という言葉にピッタリな景色に暫し見とれておりました。
境内の入口には神橋が架かり、その下を白川水源から湧き出た水が勢いよく流れています。境内はさほど広くはありませんが、正面に開放的な拝殿、奥に流造の本殿、向かって左側に神輿庫が建立されています。境内社も二社祀られています。
「白川水源」の湧水量は毎分60トンといわれ、環境省選定「名水百選」にも名を連ねる、冬は温かく夏は冷たい湧水で、やがては熊本市の中央を流れる一級河川「白川」の源となっています。又、神社の境内を覆う森(イチョウ、スギ)は、「ふるさと熊本の樹木」として登録されており、神社の参拝と共に豊かな杜や水に触れるという旅もよろしいのではないでしょうか?
御祭神:国龍大明神、罔象女命
祭礼日:7月22日
境内社:天満宮・子安観世音・馬頭観世音他
由緒:当神社は阿蘇神社の末社として、古代より水源の守護神として尊崇され、境内の中央から涌水する大泉流は、これより西方南郷谷及び菊池南部熊本飽託の肥後平野を潅流して幾千ヘクタールの水田を養い湧水池は肥後名勝の一つに数えられた。
元禄(1688〜1703)14年6月第5代肥後藩主・細川綱利公が山狩の際参拝され 「当社は余が領地養田の源神で水恩広大である。速やかに社殿を修造せよ。」と郡代に命じ造営されたと言う。
この湧水は不老長寿・諸病退散の御清水として、昔から語り継がれ尊ばれている。
嘉永年間(1848〜1853)細川韶邦公(後に初代熊本藩知事)又明治初年第14代護久公護美公が参拝され九曜紋章付きの社幕を奉納されたと云う。
現在の社殿は明治41年火災により炎上したため翌42年12月新たに造営竣工されたものである。又当神社内の社木も昭和21年の台風により樹齢数千年の老木数本が倒れ現在数となる。
明治初期熊本県が「白川県」と呼ばれたのも又地名の「白川」村名の「白水村」もこの境内の湧泉より名付けられたと言われています。
御選和歌集天暦9年(955)に次の一首あり
年ふれば
わが黒髪も白川の
水はくむまで老いにけるかな
桧垣媼
この湧水は「不老長寿」「所病退散」の御神水として昔より語りつがれ尊ばれています。
177号線沿いにある参道入口 |
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参道入口にいる大正14年生まれの狛犬
無骨な感じですが、大きく盛り上がった眉毛と、チョコッと突き出た可愛い牙が、チャームポイント。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(大正14年(1925)7月吉日建立) |
参道入口に立つ一の明神鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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湧水から湧き出た清冽な川傍に続く参道 |
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神門 |
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ほころび始めた桜と境内近くの参道の様子 |
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社頭 |
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二の台輪鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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参道の様子 |
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境内入口 神橋 |
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境内の様子 |
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拝殿 |
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拝殿内の様子 |
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流造の本殿 |
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境内社:天満宮・子安観世音・馬頭観世音
額と社殿 |
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御神像・管原道真公 |
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御神像・子安観世音 |
御神像・馬頭観世音 |
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境内社 |
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神輿庫 |
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