群塚(むれづか)

阿蘇郡南阿蘇村吉田1418(平成24年4月4日)

東経131度4分45.77秒、北緯32度49分14.54秒に鎮座。

 この神社は阿蘇白州駅の西北西約750m、阿蘇の伏流水が湧き出ている明神池名水公園に隣接した小高い丘の上に鎮座しています。
 池に面して元禄13年建立の鳥居が立ち、木立の中の参道を進むと、右手に土俵。石段を上がると、境内入口には二の鳥居が立ち、その後ろに昭和14年生まれの狛犬がおり、正面に妻入りの拝殿、三間社流造の本殿が建立されています。ひっそりとした境内には、木製鳥居の奥に天正年間、吉田城城主が子宝に恵まれる様祈願した誕生石があり、鎮守の杜の木々が豊かに聳えています。
 悲しい河童伝説が語りつがれる前面の明神池は、御神水をいただきに来た人や、観光客、子供達で賑わっていますが、神社は深い森の中に深閑とした落ち着いた雰囲気を漂わせた、素敵な雰囲気を保っていました。

 御祭神:水波能女命、国常立尊、国狭土尊
 祭礼日:夏祭・7月27日、秋祭・10月29日
 由緒:天正年間、当地区に吉田城があり、城主には子がなく、この水源で身を清め、境内にある誕生石に願いをかけられたところ、子宝に恵まれました。しかし、産後の肥立ちが思わしくなく乳が足りず、日に日に痩せ細る子どもたちに困り果てた奥方は、境内にあるいちょうの木に乳房のように垂れ下がっている気根を撫でられたその日から病気も回復し、乳の出もよくなり、それ以来現在もなお、婦人の参拝する信仰が残っております。
 また、日本最後の内戦である明治10年の西南の役で、会津藩家老佐川官兵衛は当地区長門屋の座敷にて南郷有志隊と薩摩軍に対する作戦会議を行い、この水で身を清め、当群塚神社に必勝を祈願された事実が残されています。

社頭
元禄13年(1700)庚辰11月吉日建立の一の鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
屋根付きの土俵
石段参道
境内入口に立つ二の明神鳥居
境内入口にいる昭和14年生まれの狛犬
ポセイドンのような風格が感じられる狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和14年(1939)1月元旦日建立)
妻入りの拝殿
拝殿内の様子
本殿
本殿目貫彫刻
本殿木鼻・狛犬と象

誕生石入口に立つ木製鳥居 鳥居に掛かる額
「群塚神社」
天正年間吉田城城主が子宝に恵まれる様祈願した誕生石
鎮守の杜の様子
ご神木・大杉

「誕生水」として「飲むと安産に効果があり」とされている明神池
明神池に架かる石橋
この石橋(旧明神橋)は白水村役場の東側を流れる明神川に架かっていたのを復元したものです。
「明神池かっぱ伝説」に因み、平成9年に、男河童の帰りを待ち続け、哀しみの中でも希望を持ち続けた女河童の姿を、河童石の上によみがえりらせたものです。周囲の景色に溶け込み、 待つ身の辛さ切なさが伝わってくる作品ですね。