天草市八幡町6-30 (令和4年5月9日)
東経130度11分26.88秒、北緯32度27分51.53秒に鎮座。
この神社は、天草市役所の北北西1.2km程の辺り、八幡町の街中に鎮座しております。
御祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内大臣
由緒
当宮は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内大臣の四神を奉斎している。貞永年間(1232〜1233)に、天草氏によって勧請されたものであると伝えられている。
天正17年(1589)の本戸城落城の際の小西行長の兵火、また、寛永14年(1637)の切支丹一揆の暴火により、神社の旧記、古文書等が悉く烏有に帰したため、創立の時期は詳らかではないが、現在の丸尾が丘に鎮座していたという。往時は、天草氏及び、木山弾正の弓矢神(武神、軍神)として、島民の尊崇篤く、その例大祭には、城主自ら金幣を捧げて参拝したと伝えられる。
境内は、広濶・風景絶佳、社殿は、広壮・森厳にして、天草郡中の最たるものであったと言う。
現今の地に、遷宮されたのは、後陽成天皇の慶長6年(1601)であったと言われる。
くだって昭和15年(1940)、時の八幡宮社掌、宮崎正史は、氏子総代・村民と相計らい、一致協力して、茅葺総檜造りの神々しい本殿・幣殿・拝殿を造営した。しかし第二次大戦後(1945)、住みついていた浮浪者の失火により、すべては、灰燼に帰してしまったのである。社殿は、その後、造営され、現在に至っている。
境内由緒書き より。
参道入口
神額
参道
参道左右の狛犬
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正15年(1926)10月吉日建立)
拝殿内部
本殿
末社
御神木「子守りの大楠」