須崎市浦ノ内東分3579(平成23年3月31日)
東経133度22分17.23秒、北緯33度24分39.09秒に鎮座。
この神社は横浪半島の入り江奥の浦ノ内東分鳴無(オトナシ)地区に鎮座しています。
47号線から浦ノ内湾に沿って約1.3km程進んだ、岬の突端に立つ朱色の大鳥居がこの社の一の鳥居ですが、その岬をグルッと回り込むと50m程で神社の入口に到着します。
神社前で防潮堤は開放され、志那禰祭で使用されると思われる桟橋上に、石柱と二の鳥居が建立されています。道路の反対側には玉垣内に三の鳥居が建立され、蹲踞と太鼓乗りの組み合わせの大正生まれの狛犬が護る境内を進むと、山内二代藩主山内忠義が寛文2年(1663年)に再建、その後腐朽したため昭和31年〜32年に解体修理された、国の重要文化財指定の拝殿、幣殿、本殿が建立されています。こけら葺葺きの社殿は素晴らしく、又、極彩色に彩色された本殿の彫刻類も目を見張るものがあります。
概して、海辺の神社は何処も大変景色が良いのが特長ですが、この社の鎮座する浦ノ内湾は、特に波閑かな透き通った海や、対岸のなだらかな山々、この社に居たるまでに見た海辺に佇む朱の鳥居などが、深く心に刻まれ、思い出深い神社となりました。
御祭神:一言主神(味金旦高彦根命)
祭礼日:夏祭り・8月24日・25日、秋祭り・旧暦8月22日・23日
由緒:祭神は一言主命。本殿・幣殿・拝殿は国の重要文化財に指定されている。参道が海に向かって延びており、「土佐の宮島」とも称される。
社伝によれば、葛城山に居た一言主命と雄略天皇との間に争いがあり、一言主命は船出して逃れた。雄略天皇4年(460年)の大晦日にこの地に流れ着き、神社を造営したのが始まりであるとされる。実際は、鎌倉時代の建長3年(1251年)に創建されたようである。
一言主命は土佐国一宮の土佐神社と同じ祭神であるが、土佐神社は当神社の別宮であったとされている。
江戸時代に入り土佐藩2代藩主の山内忠義の命により社殿が造営され、境内が整備された。
重要文化財(国指定)
・本殿
三間社春日造、こけら葺。土佐藩2代藩主・山内忠義により寛文3年(1663年)に造営。柱は朱塗り、貫、組物などには極彩色を施し、天井には村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞の絵がある。昭和28年(1953年)3月31日指定。
・幣殿・拝殿
幣殿と拝殿を合わせて1棟とする。平入りの拝殿の背後に妻入りの幣殿が接続し、平面はT字形を呈する。幣殿は桁行一間・梁間三間・一重。屋根はこけら葺で、背面は切妻造、正面は拝殿に接続している。拝殿は桁行三間・梁間二間・一重の切妻造、こけら葺で、正面軒に唐破風を付す。四方吹き抜けの簡素な建物である。本殿と同時期の建立。昭和28年(1953年)3月31日指定。
上記2棟は老朽化が進んだため、昭和31年(1956年)より昭和32年(1957年)にかけて解体復元修理が行われた。
例祭
志那禰祭・志那禰祭(しなねまつり)は、毎年8月24日から翌8月25日にかけて行われる夏祭である。24日は宵祭り(前夜祭)で、25日に本祭が行われる。本祭では祭のクライマックスとして、漁船3隻に神輿を乗せ供船として漁船20を従え大漁旗をなびかせて海上を船渡御が行われる。
秋祭・旧暦8月23日に行われる。神踊(こおどり、高知県指定民俗文化財)が奉納される。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
47号線から見える朱の大鳥居 浦ノ内湾の奥深く、岬の突端に小さく朱色に見えるのがこの社の大鳥居です。 |
浦ノ内東分の小さな岬の突端の道路沿いに、朱色が映える大鳥居が建立されています。 | |
神社前で防潮堤は開放され、志那禰祭で使用されると思われる桟橋上に、石柱と二の鳥居が建立されています。 | |
社頭 境内入口の趣ある玉垣内には、三の鳥居が建立されています。 |
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三の鳥居に掛かる額 | 社号標「重要文化財 鳴無神社」 |
境内内を真っ直ぐに伸びる参道 | |
境内入口近くにいる大正9年生まれの狛犬 蹲踞と太鼓乗りの組み合わせで、江戸時代の物と比べると、逞しさ・力強さを感じます。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(大正9年(1920)8月吉日建立) |
境内の様子 |
創建は、1500余年前と伝えられる。社殿は、古来度々建て替えられたが、現社殿は山内二代藩主山内忠義が寛文2年(1663年)に再建、その後腐朽したため昭和31年〜32年に解体修理。
本殿は、二間四面の春日造、こけら葺、極彩色内陣、天井に天女の舞の絵(伝 村上龍円 筆)。幣殿・拝殿は切妻造、こけら葺。 昭和28年3月に国の重要文化財に指定された。
国指定重要文化財・平入りの拝殿 桁行三間・梁間二間・一重の切妻造、こけら葺で、正面軒に唐破風を付す。四方吹き抜けの簡素な建物。 |
国指定重要文化財・妻入りの幣殿 平入りの拝殿の背後に妻入りの幣殿が接続し、平面はT字形を呈する。 幣殿は桁行一間・梁間三間・一重。屋根はこけら葺で、背面は切妻造、正面は拝殿に接続している。 |
国指定重要文化財・ 本殿 三間社春日造、こけら葺。土佐藩2代藩主・山内忠義により寛文3年(1663年)に造営。 柱は朱塗り、貫、組物などには極彩色を施し、天井絵は村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞。 |
本殿正面と左右長押上の彫刻類 |
本殿木鼻・龍と波?雲? | |
『土佐の海に御船浮かべて遊ぶらし 都の空は雪解のどけき』 この歌は、平安時代の歌人・藤原家隆朝臣が、 京の都よりお船遊びの状を想い浮かべて詠じた歌です。 そのお船遊びは、今から1240年余前(759)より鳴無神社の 神事として始まり、高知市一宮の土佐神社も御神幸になり、 共に浦ノ内湾いっぱいの賑やかなお船遊びとなりました。 全国にも名高いものとなり、京の都から和迩部用光等 有名な楽人も時々下向し、楽を奏して祭典に奉仕されました。 |
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神社後方の鎮守の杜 |
境内入口から二の鳥居を通して浦ノ内湾を望む 海の近くに鎮座する神社は何処も大変景色が良いのが特長ですが、この社の鎮座する浦ノ内湾は、特に波閑かな透き通った海や、対岸のなだらかな山々、この社に居たるまでに見た海辺に佇む朱の鳥居などが深く心に刻まれた、思い出深い景色、神社となりました。 |