賀茂神社
須崎市多ノ郷甲1780(平成23年3月31日)
東経133度16分47.06秒、北緯33度24分23.97秒に鎮座。
この神社は大間駅の西北西約1km、315号線沿いに参道入口があります。鳥居が立ち、狛犬が護る入り口から、参道は真っ直ぐ北に150m程のび、その間二カ所の御旅所が設えてあります。
神社の入口には人魚伝説の塔「八百比丘尼の塔」という石造塔があり、梵字の彫りや屋根の反りの特徴から鎌倉時代に造られたと言われている、高知県下最古のものです(高知県保護有形文化財)。又此処には磐座と思われる大磐があり、又、二対の狛犬がいますが、この狛犬達はいずれも他人(狛)同士に見えます。
境内に入ると正面に大きな唐破風を付けた立派な拝殿が建ち、本殿は流造。左右には、社務所、境内社が配されています。
この日最後に参拝した神社で、日が暮れるのと競争の様な写真撮影…。再訪時には、もっとゆっくりと出来る時間に来たい神社です。
御祭神:賀茂別雷大神
祭礼日:10月20日・秋の大祭(太刀踊り(花取り踊り))
境内社:鳥居神社、宇気母智大神
由緒:旧郷社。賀茂大明神社(土佐州郡志)・賀茂大明神(南路志)とも称した。
御手洗川下流左岸に位置し、東側を中ノ川が流れる。
「南路志」所収の「賀茂大明神勧請之記」では津野氏の祖津野経高の勧請という。「古文叢」などに所収された当社本地仏裏書に「土州高岡郡津野庄多野郷賀茂本地仏 寿永二年正月 日」とあって、寿永2年以前の創建であることがわかるが、「勘仲記」紙背文書の平安末期と推定される官宣旨案によれば、京都の鴨御祖社(下賀茂社)領の土佐郡潮江荘(現高知市)が地震で陥没したため、その代替えとして康和2年に津野荘が与えられたとあるので(東洋文庫蔵/須崎市史)、その創建の時期を知るうえで手掛りとなろう。
「南路志」には文安2年銘の鰐口と永享2年銘の懸仏があったことが見え、棟札では永享8年津野之高が屋根の葺替えを、永正5年には津野元実が社殿を再興しており、以後も修造が繰り返された。天正16年の津野惣郷神社帳には「賀茂下上大明神 本社三間四面なり 舞殿三間 横殿五間 籠所三間 御供所三間 神宮寺三間 宮人八十人御欠着之時膳所五間」とある。
神社の西に神宮寺があったが、慶長頃から新義真言宗の無量寿山宝寿院観音寺が勤めた。明治4年廃寺となるが、同13年より再興に着手し、大正15年竹の鼻から大間西町の現在地に移転した。
神社はかつて多ノ郷・須崎(浜町・鍛冶町・新町・原町)・神田・土崎・吾井ノ郷・桑井山の総鎮守であったが、明治元年からは多ノ郷・須崎の産土神となる(須崎市史)。
昭和15年の火災で社殿・社宝を焼失したが、弥生時代の銅剣(32.4cm)は難を免れた。昭和23年再興し本殿は原形のまま。
境内の鎌倉期の多重塔は高さ4.3m、花崗岩製の12層であるが、「南路志」に13層とあり、のちに1層欠けたと思われる。
10月20日の大祭には須崎の浜辺まで隔年に御神幸があったが、現在は大間まで行う。大祭に奉納される太刀踊りは県無形民俗文化財。
(「角川日本地名大辞典」より)
315号線沿いの参道入口 |
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参道入口に立つ一の根巻鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
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参道の様子 |
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参道入口近くにある御旅所 |
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参道の様子 |
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社頭 |
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神社近く、参道右側の御旅所 |
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神社入り口 |
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神社入り口に居る狛犬
阿と吽、台座ざ、総ての建立年代が異なります。吽の方が造りが丁寧で、古さを感じます。のんびりとした癒し系の狛犬です
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(阿・不明 吽・大正4年(1915) 台座・昭和23年(1948)建立) |
人魚伝説の塔「八百比丘尼の塔」 |
御鎮座一千年祭記念碑 |
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磐座? |
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神社入り口に立つ二の鳥居 |
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境内へと続く石段参道 |
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境内入口にいる狛犬
阿は文化9年、吽は昭和23年建立という全くの他人(狛)同士です。後で造られたと思われる、昭和23年生まれの吽は、ちょっと惚けたとても可愛い子です。私としてはこちらでの一対も見たかったような…。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(阿・文化9年(1812)6月吉日 吽・昭和23年(1948)10月建立) |
境内の様子 |
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拝殿 |
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拝殿唐破風下彫刻 |
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拝殿目貫彫刻・鳳凰 |
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目貫彫刻木鼻・龍 |
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拝殿内の様子 |
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流造の本殿 |
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本殿妻彫刻 |
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本殿木鼻・狛犬と象 |
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境内社:鳥居神社(豊磐窓神、櫛磐窓神) |
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ご神木 |
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