四万十市中村本町1-3 (平成23年3月29日)
東経132度56分12.34秒、北緯32度59分21.5秒に鎮座。
この神社は中村駅の北西約3km、市の中心部に鎮座しています。
参道入口に社号標、一の鳥居が立ち、昭和3年生まれの玉乗り狛犬が目を光らせています。平坦な参道をしばらく行くと石段が有り、境内へと上がっていきますが、途中に二の鳥居が建立されています。
奥行きのある境内は奥に行くほど広くなり、入ってすぐ右に神楽殿や境内社、左に社務所が配され、奥右に一條神社、左に天神社が建ち並んでいます。一條神社拝殿は唐破風付きの豪華な建物で、後ろに幣殿と、石垣が組まれた上の垣内に本殿覆い屋が建立されています。
又、境内には「中村御所館跡」という案内板があり、それによると、この地には戦国時代に当地を支配し、中村市街地の基礎を築いた土佐一條氏の中村御所があったそうです。
応仁の乱により京都を追われた一條教房(のりふさ)が一条家領であったこの地に逃れ、やがて土着し、土佐一条氏となったようです。絵馬に「土佐の小京都」とあるのも納得!。教房が京の文化をこの地に伝えたと思われます。
現在の社殿地には、戦国時代に当地を支配し中村市街地の基礎を築いた土佐一条氏の中村御所があった。一条氏の滅亡後に御所は荒廃したが、その跡に1607年(慶長12年)に一条氏遺臣により歴代当主の霊を祀る祠が建てられたのが当社の起源となる。
その後、1862年(文久2年)になって土佐藩の幡多郡奉行らにより幡多郡総鎮守として社殿が造営され、一條神社として改めて建立された。
現在の本殿は1944年(昭和19年)の建立である。
ウィキペディア より
御祭神:若藤男命、若藤女命、一條教房、並びに子孫房家、房冬、房基、兼定、内政及び其の連枝の霊
祭礼日:11月23日より3日間
境内社:愛宕神社他
由緒:当神社は文明12年(1480)一條家の御廟所として先祖をお祀りしていたことに始まり慶長12年一条家遺臣等土地庄屋と相企り一條家の徳を仰ぎ祠を建て霊をお祀り申していたのを文久2年(1862年)にいたり時の幡多郡奉行、中村目代、大庄屋が一体となって一條家の遺徳を顕彰し幡多郡民の総鎮守の神として崇め奉るため社殿の造営一大祭典の執行を幡多郡民に命じた。
例大祭は高知県下三大祭の一つとして数えられ当日は十数万人の参詣人で賑わう。
参道入口に立つ一の鳥居 |
参道入口にいる昭和3年生まれの玉乗り狛犬 狛犬の拡大写真はこちらで |
|
(昭和3年(1928)建立) |
参道の様子 |
石段参道 |
石段参道途中に立つ二の台輪鳥居 |
境内入口 |
境内の様子 右側に「一條神社」、左に「天神社」、左手前に社務所が配されています。 |
唐破風付き入母屋造りの拝殿 |
拝殿にかかる額 |
幣殿と本殿覆い屋 |
境内社:愛宕神社 | |
境内社 | 神楽殿 |
絵馬 | |