不破八幡宮

四万十市不破1374-1(平成23年3月29日)

東経132度56分23.02秒、北緯32度58分36.6秒に鎮座。

 この神社は中村駅の南西約800m、四万十川北岸近くに鎮座しています。
 入り口に立つ台輪鳥居を潜ると石段の参道が境内まで続き、両脇の石垣の上に横になって休んでしまった狛犬がいます。石段の先の境内奥に社殿が建立されていますが、境内は広々としており、ここで華々しく祭礼が執り行われるのかしら?とすぐに思ってしまう造りでした。拝殿は千鳥破風唐破風が付いた立派な造りで内部には36歌仙の額が掛かる雅なものでした。その後ろに幣殿、垣内に国指定重要文化財の三間社流造、こけら葺本殿が建立されています。又、社殿左には境内社が二社祀られていました。

 御祭神:品陀和気命、玉依姫命、息長足姫命
 祭礼日:旧暦3月15日・春季山川海祭典、旧暦7月14日(現在は旧暦7月14日前後の日曜日)・御輿洗い、10月体育の日の前日・秋季大祭(体育の日の前々日・土曜日に宵宮、体育の日の前日・日曜日に本祭典)、旧暦10月15日・秋季山川海祭典
 境内社:住吉神社、三島神社
 由緒:旧社格は県社。本殿は国の重要文化財に指定されている。
 土佐一条氏の祖である一条教房が応仁の乱を避けて一条氏の荘園があったこの地(幡多荘)に逃れた。教房は幡多郡総鎮守として山城国の石清水八幡宮を勧進し室町時代中期の文明年間(1469年〜1487年)に八幡宮を建立した。これが当神社の起こりである。当神社は土佐一条氏の守護神ともなっていた。別名を正八幡、広幡八幡宮と称する。江戸時代には土佐藩主山内家の崇敬も集めた。
 秋季大祭は「神様の結婚式」とも呼ばれ、毎年10月に催される。五摂家の一つである一条氏から見ると、逃れてきたこの地は蛮風の色濃い土地であった。一条氏はこの地に京風の習俗を根付かせるために、上げ馬、流鏑馬等の神事を行った。特にこの地で当時盛んであった「嫁かつぎ」と呼ばれる略奪婚の風習を京風に矯正する目的で始まったのがこの祭礼である。
 不破八幡宮を男神とし、市内の一宮神社(いっくじんじゃ)を女神として祭典神事の中で結婚式を執り行う。一宮神社には「椎名御前(しいなごぜん)」、「徳益御前(とくますごぜん)」、「鉾名御前(ほこなごぜん)」の3柱の女神があり毎年くじ引きによって新婦を決定する。このように2つの神社での祭礼は幡多地域の広範囲で参加するが狙いであり、この神事を通じて庶民の生活指導が行われた。旧中村市を挙げての祭礼であったが、現在では平成5年(1993年)に合併した四万十市全域が関係している。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 不破八幡宮は、今より520年前一条公が応仁の乱を避け荘園経営のため中村に開府のとき、幡多の総鎮守として又一条家守護神として山城国石清水八幡宮を勧請したものであり正八幡、広幡八幡といわれる。
 本殿は昭和38年7月1日付で国の文化財保護委員会より重要文化財の指定を受け、昭和40年11月1日起工、同41年12月31日完了で改修が施された。
 不破八幡宮神社祭典にはいろいろあり、一条文化の創設にかかるもので僻辺の土佐の西南端に位置するこの幡多地区は、未開の土地までとはいえないまでも僻進の土地であり京都5摂家の一つである一条家の目から見れば一層その感を深くするものであり、やぶさめ等の神事で勇武の指導をすると共に、当時盛んに行われた「嫁かつぎ」等の風習を矯正するため八幡宮と一宮神社結婚式を祭典神事に折り込んで行い、しかも、祭典費捻出のための課する物もその土地々々の産物を利用し、供応のものなども極めて簡素なものをもって質素倹約を旨とし毎年盛大に行われるようにし、こうして神事を通じて庶民大衆の生活指導を行ったものであるといわれている。

神様の結婚式
 一宮神社には、「椎名御前」、「徳益御前」、「鉾名御前」の御三躰があり、この三躰から一躰を御くじにより選び氏子総代青年団長等は御通夜をして、下田の舟の迎えを待つ。
一宮神社との結婚式 椎名御前(しいなごぜん) :びす(頭のはげのこと)があるので隠すために雨を降らす。  
徳益御前(とくますごぜん) :この御身躰の祭りのときは豊年である。(天気も良く喧嘩もない。)
鉾名御前(ほこなごぜん) :この御身躰の祭りのときは喧嘩がある。
(「四万十市観光案内」より)




社頭
神社入り口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
石段参道
石垣の上に寝ている出雲丹後狛犬
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境内入口
境内の様子
拝殿
唐破風下の彫刻・翼竜
拝殿内に架かる36歌仙額
幣殿
重要文化財(国指定)・ 本殿 附棟札9枚
三間社流造、こけら葺。戦国時代の永禄2年(1559年)建造。蛙股などに室町時代後期の様式が見られる。昭和40年(1965年)11月より昭和41年(1966年)12月まで解体復元修理が行われた。昭和38年(1963年)7月1日指定。
境内社:住吉神社 境内社:三島神社
筆塚
ご神木
境内から神社前を振り返る
豊かな田園地帯の向こうに、四万十川の土手や56号線坂本トンネル入口などが見えています。