豊岡上天神社

南国市岡豊町常通寺島619(平成23年3月28日)

東経133度37分19.84秒、北緯33度35分20.45秒に鎮座。

 この神社は国分川北の田園地帯に鎮座しています。式内社・豊岡上天神社に比定される古社で、明治時代の社格では郷社でした。
 旧来は神社後方の岡豊山山頂に鎮座していましたが、岡豊城築城にあたり、南西麓のこの地へ遷座されたそうです。
 入口には明治42年生まれの優しそうな土佐型狛犬がいて、鳥居も建立されていますが、上部は欠けて無くなっています。境内には入母屋造りの拝殿と流造の本殿、社殿左には境内社が一社祀られています。

 御祭神:豊宇気姫命
 祭礼日:不明
 境内社:一社
 由緒:創祀年代や由来など不明だが、豊岡の地名と関連あるものとされている。土佐の穀倉地帯である香長平野の中心部に位置し、すぐ北には舟岩・大平山・小蓮などの古墳が多く、南方にも明見・高間原・高天原をはじめ多くの古墳群が連なっており、東には国府・国分寺が、西には 小野神社・土佐神社などの式内社が存在している。
 土佐国内で最初に開発され、人々が集住した土地で、地名どおり豊かな岡にかこまれ、有数の稲作地帯(近世以降には米の二期作が行われた)であるので、住民が農業紳である豊宇気姫を奉祀したのであろうといわれている。古来岡豊の産土神として、豊作の稲神で民衆の生活を守護する神社として信仰された。
 社名の天神社についても、『皆山集』に「西和田の天紳ハ祭日九月廿五日ナレハ、菅公ヲ祭レルコトウタガフヘクモアラシヲ、秦山翁ノ蓮如寺ノ天神ヲ菅神ト定メタルモ今スコシイカヽ也。同神ヲ南北二祭ラレタル時代ノ前後モアルヘケレハナリ」とあって菅原道眞と関連する説もあるが、現在天神社をアマツカミと読む説も出ており、やはり何時の頃か豊宇気姫命を祭ったのであろう。
(「式内社調査報告」より)

社頭
境内入口
境内入口にいる明治42年生まれの土佐型狛犬
鬣や尾の渦が大きく、優しそうな姿をしている狛犬です。明治も終わり頃の作品で、尾の流れが大分複雑になっています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治42年(1909)4月吉日建立)
境内の様子
拝殿
拝殿に掛かる額
本殿
末社 神井と水鉢