坂本神社

南国市才谷446(平成23年3月28日)

東経133度39分18.05秒、北緯33度37分51.13秒に鎮座。

 この神社は坂本龍馬のご先祖の出身地・才谷地区に鎮座しています。高知自動車道南の31号線からパシフィックGC方面に向かい、途中二股を左に取り川筋を行き、高知自動車道高架下を通り、才谷の集落を抜け龍馬公園を目指していくと其の奥に鎮座しています。
 才谷龍馬公園の木戸を潜り自然堂前を通り過ぎると、坂本龍馬先塋(せんえい)の地の案内があります。更に突き当たり左奥に神社の参道があり、台輪鳥居が立っています。境内には石祠の社殿が建立されており、その奥に坂本家二代・彦三郎と三代・太郎左衛門の墓がひっそりと立っています。
 「先塋」とは「祖先の墓。先祖代々の墓」という意味だそうです。

 御祭神は坂本龍馬とその先祖と思われますが、勧請年月・縁起・沿革等については案内がなく不明です。子孫に龍馬の様な超有名人が現れなければ、この社が創建されることもなかったのでしょうか?それとも龍馬が人に知られる以前からこの社は祀られていたのでしょうか?

 「高知県立坂本龍馬記念館の公式サイト」に「坂本龍馬先塋の地−龍馬公園と坂本神社−」と題されて、神社と龍馬・坂本家の歴史が以下のように発表されています。
 「龍馬公園の冠木門をくぐると自然堂と名付けられた建物と桜の木に囲まれた広場がある。平成6年、美しい町づくり推進事業によって整備されたもので毎年11月に催される才谷龍馬祭などのイベントに使用されて賑わうが、いつもは静かな山あいの地である。
 自然堂のなかに「坂本氏家系図」が掲示されて、龍馬と大浜屋敷という地名のつながりを意味づけている。「大浜濤次郎」の名を龍馬が使ったのも、この地にちなんだものであることがわかる。
 坂本神社は公園の広場の奥の樫の古木の繁みの中にある。「坂本神社」の扁額のかかっている小さな鳥居でそれと知れる。
 鳥居の右後方に、坂本家二代彦三郎、三代太郎左衛門の墓石がいくつかの石盛墓と並んでひっそりと建っている。墓石には苔が生え墓誌などは判読しかねるほどに風化している。
 坂本家は四代八兵衛守之が寛文6(1666年)年に高知城下に出て、本丁三丁目で質屋業「才谷屋」を創業し、更に酒造業、諸品売買業へと家業を拡げて城下屈指の豪商となって苗字帯刀御免となるなど、才谷屋の基礎を築いた。
 当時、城下の分限者として中央では仁尾久太夫と櫃屋道清がおり、下町では酒屋の根来屋又三郎、上町では才谷屋八兵衛、といわれたという。五代八郎兵衛正禎は本丁の年寄役となって藩主のお目見え御免となり、六代八郎兵衛直益は窮乏する土佐藩の財政に貢献すると同時に、豊かな経済力をもとに学問にも志した教養人でもあった。
 墓石の側面に「坂本八郎兵衛直益建之」の文字が見える。もちろん、初代太郎五郎の墓も建立している。
 直益には2人の男子があり、兄の兼助(八郎兵衛直海)は郷士の株を買って分家し、弟の八次(八郎右衛門直清)は才谷屋の家業を継いだ。
 龍馬は兼助の曾孫である。」

才谷龍馬公園入口
参道入口
境内入口に立つ台輪鳥居
鳥居に掛かる額
境内の様子
石祠の社殿
「坂本龍馬先塋の地」案内
坂本家二代・彦三郎の墓石 坂本家三代・太郎左衛門の墓石

坂本龍馬像 龍馬の変名の一つ・才谷梅太郎に因んでか
公園には梅の木が植えられています。