小野神社

南国市岡豊町小蓮1189(平成23年3月28日)

東経133度36分52.04秒、北緯33度35分40.63秒に鎮座。

 この神社は式内社・小野神社に比定される古社で、高知大岡豊キャンパスと384号線を挟んで北側に鎮座しています。
 384号線岡豊町小蓮交差点を北へ入ってすぐ左に鳥居と狛犬があり、石段を上がった先の丘の上が境内になっています。この境内の造られている小丘上が小野古城址で、南北朝時代に築城された小野古城は、長宗我部元親の二男親和が、豊臣秀吉により長宗我部氏が土佐一国に押し込められたために讃岐の香川家より土佐に戻ってきてから、元親より与えられたとされる城で、廃城時期は不明です。
 始め北西に向かう石段参道を登っていくと、右へ曲がる地点にも鳥居が建立されています。さらに石段を上がると、境内手前に三の鳥居があり、すぐに拝殿、本殿が建立されています。又、参道途中と境内に末社が祀られていました。

 御祭神:天足彦國押人命(考昭天皇の皇子 、考安天皇の兄、小野氏の祖)
 祭礼日:不明
 境内社:若宮神社、佐波為神社
 由緒:勧請年月や由来など不明だが、小野村の産土神として信仰された。
 ところで当社鎮座の場所は中世小野城のあったところで、長宗我部元親の二男親和が讃岐の香川家をついだが、香川家の衰退により帰国し、元親から小野の古城を与えられ小野村に住んだといふ。『南路志』に小野神社について「豊岡大明神麻小野古城山」と記されたのもそのためである。小野神社と豊岡大明神を合祀したため混乱がおこったことについては前記したが、時期は不明だが小野神社と並列して建てられた豊岡大明神(豊岡神社)が有名になったため、小野神社といへば豊岡大明神のことと思うようになり、中には両社を同一の神社と考える者もあらわれたようである。『南路志』には小野神社を「若宮本社脇」と記し、脇宮・若宮としてあつかっている。
 ところで小野神社の神体について『皆山集』に「式社記云、此社、小野村古城址豊岡社東側に小社あり。是なり。束帯せる男体の木像を以て神体とす。今其神像豊岡社に蔵む。古、何時豊岡社に合するを知らす。」と記されてあり、神体すら豊岡神社におさめられては混乱するのもうなづけるのである。
 式内社の小社で、明治5年社格制定にあたり村社となった。
 『長宗我部地検帳』によれば、長宗我部氏の有力家臣小野民部承は一反三三代の土居屋敷に住み、約二五町の給地をもっているが、小野氏は中世において伝統的に小野村での豪族としての地位を保っていたのであらう。
 小野神社のある南には山麓に善楽寺があったが、検地の段階では阿弥陀堂が残っている。豊岡大明神は社領八反四十八代四歩があったが、長宗我部時代に取り上げられたと伝えられている(高知県神社明細帳)。
 山内藩政時代は御山方の支配をうけ、棟札に寛文4年(1664)3月、元緑15年(1702)9月、元文3年(1738)11月のものがあり、修造されたが豊岡大明神と記されている。
(「式内社調査報告」より)

参道入口
参道入口にいる明治32年生まれの狛犬
鬣や尾から土佐生まれの狛犬と分かりますが、お尻をやや持ち上げた姿勢の狛犬は余り見かけません。上品な、狛犬然とした顔つきで尾の流れはやや単調ですが、江戸流れを彷彿とさせる造りです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治32年(1899)8月吉日建立)
参道入口に立つ一の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
石段参道の様子
石段途中に立つ二の台輪鳥居
境内へと続く石段参道
境内手前に立つ三の台輪鳥居
境内入口
拝殿
本殿
参道途中に祀られる境内社 百度石
境内社 境内社