日吉神社

南国市比江276(平成23年3月28日)

東経133度39分6.27秒、北緯33度36分2.12秒に鎮座。

 この神社は国府小学校の東約400mに鎮座しています。入口の鳥居の額には「日吉神社・熊野神社」とあり、私達の持っている県別地図には「熊野神社」と記載されていますが、境内に建つ由緒書きを読むと、まず16世紀後半に「内日吉」が遷座、その後、17世紀半ばに「日吉神社」と「熊野神社」が同年にこの地に遷座してきた様です。
 入口には案内と共に「南国市史跡比江山史跡」碑が立ち、「日吉神社・熊野神社」と書かれた額が掛かる一の鳥居を潜ると東と北東に二本の参道が付けられています。東の参道が表参道で、40mほど進むと左に石段が有り、境内の入口には「日吉神社」とだけ書かれた二の鳥居が立っています。
 境内入口には建立年代不明の狛犬がおり、正面に拝殿と本殿、右側に熊野神社の社殿が建立されています。社頭北側の池の中には境内社が祀られていました。

 御祭神:大山昨命
 祭礼日:旧8月朔日
 境内社:熊野神社他
 由緒日吉神社
 近江国比叡山東麓にある日吉神社の勧請で大山昨命を祭る。
 都より来任の国司が京都に擬し招祷したものである。寛文6年(1666)山内彦作和成が東方より移設したもので元日吉山王権現と称し明治元年3月改名日吉神社となる。大祭には弓を射る歩射の式あり、矢取田の田を作る者この矢を掌る事古来の例である。
内日吉
 紀貫之の墓は比叡山裳立山にある。
 貫之土佐来任に際し、比叡山麓の日吉大社から日吉権現を奉じ来って府内に祀り帰洛の際その祭祀を公文某に託した。
 天正(1573〜1592)の頃まで南方数百米の田の中[地名内日吉]にあった。旧八月朔日に公文氏これを祭り今日に至っている。

社頭
案内 南国市史跡比江山史跡
一の台輪鳥居 鳥居にかかる額
「日吉神社・熊野神社」
参道の様子
境内入口
境内入口に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額「日吉神社」
境内入口にいる建立年代不明の狛犬
縦長で、やや潰れたゴリラのような顔つきをしていますが、愛嬌があり、唇の端から覗く牙や並んだ平歯がキュートです。きちんと彫られた爪や、後ろ足の臑毛など、丁寧な造りです。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内の様子
千鳥破風入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子 本殿にかかる額
「日吉坐王権現」
流造の本殿
本殿木鼻・龍

熊野神社 鞘堂兼拝殿
熊野神社本殿
右脇社 左脇社
境内社:厳島神社?
境内社? 磐座?
境内に咲く桜