山内神社

高知市鷹匠町2-4-65(平成23年3月31日)

東経133度32分4.03秒、北緯33度33分7.79秒に鎮座。

 この神社は入明駅の南約1.4km、鏡川の北に鎮座しています。
 この地は元々初代藩主の一豊とその夫人の見性院(千代)、2代藩主忠義を祀るために、高知城内に造営された藤並神社の御旅所だったようですが、現在でも鷹匠公園から入る東参道は、歴史の感じられる神寂びた空間で、境内も市街地の中心部に鎮座する神社とは思えない程の静寂に包まれた、心癒される神社でした。

 御祭神:土佐藩歴代藩主
 祭礼日:元旦祭・1月1日、紀元祭・2月11日、春祭・4月15日、輪抜祭・夏祭・6月30日、例大祭・11月10日、大祓式・除夜祭・12月31日、毎月一日・月次祭
 境内社:熊野神社・春日神社・住吉神社
 由緒:土佐藩初代藩主山内一豊、同夫人、および土佐藩歴代藩主を祀る。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁等に属さない単立神社となっている。
 文化3年(1806年)、土佐藩10代藩主豊策により、初代藩主の一豊とその夫人の見性院(千代)、2代藩主忠義を祀るために高知城内に造営された藤並神社に始まる。当時、初代藩主を神として祀ることが各藩で行われていた。天保6年(1835年)、「藤並大明神」の神号が贈られた。
 明治4年(1871年)、土佐藩最後(16代)の藩主で、初代知藩事となった豊範が、藤並神社の御旅所であった現在地に山内神社を創建し、3代忠豊から14代豊惇までの霊を祀った。翌明治5年(1872年)、山内神社は高知県庁に引き渡され、村社に列格した。
 昭和7年(1933年)、15代豊信(容堂)・16代豊範の明治維新での功績を顕彰する神社を新たに造ることとなり、山内神社に祀られていた歴代藩主の霊を藤並神社に遷座し、新しい社殿を造営した。昭和9年(1935年)4月に竣工し、豊信・豊範を祀る「別格官幣社山内神社」として創建された。
 昭和20年(1945年)、戦火により両神社とも焼失し、以降、仮宮で祭祀が行われていた。昭和45年(1970年)、社殿を再建して藤並神社を合祀し、土佐藩歴代の全ての藩主を祀る神社となった。平成2年、高知城内にあった熊野・春日・住吉の三社を境内に遷座した。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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西参道入口
西参道入口に立つ大鳥居 社号標
「別格官幣社山内神社」
西参道の様子
西神門
境内内の参道の様子
境内の様子

拝殿
拝殿内の様子
本殿
「大政奉還を慶ぶ山内容堂公」銅像
社殿に向かい合う形で、鯨海酔候と自称した容堂公らしく、杯を片手にゆったりと寛いでいる様に見えます。



脇殿:熊野神社・春日神社・住吉神社
三社はもと高知城内に鎮座していましたが、平成2年7月に現在地に遷座されました。
社務所前に咲く桜
ご神木 ご神木
東神門
東参道途中に置かれている「亀石」
東参道入り口 神明鳥居
駐車場脇を閑かに流れる鏡川