和霊神社

高知市神田(平成23年3月31日)

東経133度30分48.47秒、北緯33度31分59秒に鎮座。

 この神社は高知駅から南西に約5km、水谷山に鎮座していますが、才谷屋所有の山であったので才谷山ともいったといいます。
 神田小学校の西から南下し、南のカーブの交差点を右折し、すぐに左折。南へ折れ200mほど行くと右手に和霊神社への標識があるので、それに従い進むと駐車場があります。そこに車を置いて案内の看板どおり約5分歩くと、前方山裾に木製鳥居が見えてきます。
 鳥居から200mほどの急な石段を登った所が社地ですが、木の根等が絡む昔ながらの歩きずらい石段で、それなりの心づもりと、履き慣れた靴が必要でしょう。境内入口には木製鳥居が立ち、「坂本龍馬先生脱藩祭記念」碑もあります。境内中央には入母屋造り瓦葺きの社殿が建立され、社殿内には「和霊大明神」の額が掛かり、格子の中には石祠が建立されています。
 脱藩の決意を固めた龍馬は、澤村惣之丞と共に酒をもって吉野の花見にとこの和霊神社に詣で、武運長久を祈願したと伝承されているそうですが、それから5年後の33歳の年に京都で暗殺されてしまいます。歴史に「もしも…。」はありませんが、この人が維新後まで存命だったなら、その後の社会は少しは変わっていたのでしょうか?

 御祭神:宇和島伊達藩家老・山家清兵衛公頼、坂本家先祖・明智左馬助
 祭礼日:3月24日近くの日曜日
 由緒:幕末の志士坂本龍馬4代前の先祖坂本八郎兵衛直益が宝暦12年(1762)宇和島の和霊神社を坂本家の屋敷神として勧請。
 文久2年(1862)龍馬脱藩の際水杯で武運長久を祈願したと伝わる。
 昭和60年から事績を顕彰した龍馬脱藩祭を行っている。

 

神社遠景
参道入口
参道入口に立つ木製鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
奥の森へと続く参道は、殆どが昔ながらの歩きづらい石段です。左右は畑地で、途中ほんの少し坂道がありますが、森の中に入ってからの最後の石段が一番きつかったです。雨の日は此処の上り下りは辛そうです。
境内入口に立つ木製鳥居
境内入口にある
「坂本龍馬先生脱藩祭記念」碑
素焼きの水鉢
境内入口にいる大正14年生まれの狛犬
高知では出雲や広島からの影響も受けているのでしょうか?構えと太鼓乗り又は蹲踞の組み合わせを何対か見ています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・石尾繁猪 大正14年(1925)4月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子
拝殿内に掛かる額
「和霊大明神」
龍馬が乙女姉さんから与えられたと伝わる
「銘刀・肥前忠廣」の写真でしょうか?
本殿石祠