若宮八幡宮
高知市長浜6600(平成23年4月1日)
東経133度32分49.65秒、北緯33度29分27.64秒に鎮座。
この神社は土佐湾に面した長浜地区に鎮座する旧懸社です。
14号線と34号線がぶつかる交差点角にお旅所があり、神社はここから北西約800m先に鎮座しています。途中300m程先に参道の入口があり、綺麗に整備された鎮守の森公園緑地を気持ちよく歩きながら、神社まで散策できます。
神社の入口には注連柱が立ち、参道の途中に明治時代から建立されてきたという鳥居が立っていますが、「鳥居のいわれ」と云う案内があり、嘗てこの社の鳥居が長宗我部元親公により海上に流され、以来280年余り鳥居のない神社として有名だったと書かれていました。
境内に入ると左に社務所、右に手水舎、正面に高岡郡日高村・小村神社と同じく出蜻蛉式と云う珍しい建築様式の拝殿が建ち、本殿右には天神宮、東側中央の参道には三座神社、三社神社(椿社・薬神社)、隼人社が、東参道入口付近には竈戸神社(荒神宮)が境内社として祀られています。
又、参道には合計三対の狛犬が置かれ、狛犬ファンの私達にとってはとても楽しい神社です。
御祭神: 誉田別命(応神天皇) 、 息長帯比売命(神功皇后)、市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命、相殿:高オカミ神 (雨の神)
祭礼日:1月1日・歳旦祭、2月3(4)日 ・節分祭、4月下旬・祈念祭、4月第1土曜日から3日間・神田祭 どろんこ祭、5月下旬・初陣祭、6月30日・夏越祭、7月25日・夏祭り、11月5日・宵祭り、11月6日・秋祭り 神幸祭、11月15日・七五三祭、12月上旬・大麻頒布始祭、12月中旬・新嘗祭 鎮祭
境内社:天神宮、竈戸神社(荒神宮)、三座神社、三社神社(椿社・薬神社)、隼人社
由緒:文治元年3月、平氏を檀ノ浦に滅ぼした源頼朝公は、全国に守護・地頭を置き鎌倉幕府の基礎を固めました。同時に、祖父源為義公の冥福を祈り、源家の家運長久を願って京都六條の為義邸跡にあった六條左女牛若宮(六條左女牛八幡宮)に石清水八幡宮の御神霊を御勧請し、ここに新たに六條若宮八幡宮を御創建されました。
その際、土佐国吾川郡の南部一円を六條若宮の神領地として奉納せられ、神地鎮護の神として現在の地に御創建されたのが若宮八幡宮です。時に文治元年(1185年)12月30日のことでした。
以上のことは、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』に記されています。
その後、鎌倉、室町の各時代を通じ、武家尊奉の神社として大いに尊崇せられましたが、特に戦国時代に入るや、永禄3年(1560年)長宗我部元親公が、父国親公に従い、本山氏の支城であった長浜城を攻略した際、当社の馬場先に陣所を構え、一夜、心静かに戦勝を祈願し初陣にのぞみましたところ、見事にこれを討ちやぶることが出来ました。元親公はまだ22歳の若武者でした。このことから、当社を出陣祈願の社と定め、社殿を出蜻蛉式建築に改めたことは有名です。とんぼは一名勝虫ともいわれ、昔から縁起のよい虫とされています。
元親公の四国平定の途は、実に当神社の馬場先よりはじまったと申せましょう。
なお、高知市一宮の土佐神社は元親公の凱旋報賽社として崇敬せられ、御社殿は当社とは逆の入蜻蛉(いりとんぼ)式建築になっております。
元親公が土佐守として浦戸城に居城するに及び、特に当神社を西ノ宮と称え、歳月の祭儀を厳重に執行せられました。更に慶長5年(1600年)山内一豊公が新たに土佐国主に封ぜられ、当初浦戸城に、その後大高坂城(後の高知城)に移られてからも崇敬の念篤く、祈願八社の中の一社として年々の祭典はもとより、藩主の交替毎には社殿の修理が官費をもって行われました。
明治維新後は山内藩との関係も絶え、明治6年(1873年)郷社に、更に昭和5年には県社に昇格され終戦を迎えました。戦後はこうした社格もなくなり、宗教法人若宮八幡宮として、長浜、御畳瀬、浦戸、瀬戸、横浜地区の総氏神、更に又、厄除け開運の神、安産の神、雨乞いの神等として、近郷近在の里人から広く信仰を集めております。
(「若宮八幡宮公式サイト」より)
14号線と34号線がぶつかる交差点角にある若宮八幡宮お旅所
神社はここから北西約800m先に鎮座しています。 |
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お旅所に立つ社号標 |
お旅所入口 |
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お旅所境内 |
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お旅所 |
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参道入口 |
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参道入口に立つ社号標 |
参道入口に立つ一の鳥居 |
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参道の様子
参道入口から神社までも北西に約500m程あり、綺麗に整備された鎮守の森公園緑地を気持ちよく歩けます。 |
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社頭 |
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参道の様子 |
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参道に居る安政2年生まれの狛犬
縦型でやせ気味、この時代のこの地域の狛犬としては異質な感じがします。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(安政2年(1855)乙卯6月吉日建立) |
参道途中に立つ二の根巻鳥居 |
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二の鳥居前にいる安政6年生まれの土佐型狛犬
佐賀の岩狛のように岩に手を掛けていますが、姿は見事に土佐型を継承しています。
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(安政6年(1859)己未3月吉日建立) |
境内の様子 |
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出蜻蛉(でとんぼ)式拝殿
トンボは一名、勝虫ともいわれ、戦には縁起のよい虫とされた。神社の本殿をしっぽに見立て、トンボが飛び立とうとしている姿になっている建築様式で、元親公が御定めになられた。 |
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本殿 |
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境内社:天神宮 |
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境内社:三社神社 |
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境内社:竈戸神社 |
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東参道の様子 |
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東参道に居る文政7年生まれの狛犬
こちらは浪速狛犬ですが、吽の頭部が無くなっています
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(文政7年(1824)甲申8月16日建立) |
ご神木・梛の木 |
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絵馬 |
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東参道入口に立つ根巻鳥居 |
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