高知市天神町19-20(平成19年3月31日)
この神社は鏡川右岸、真如寺山の北麓に鎮座しています。神社の入口は天神大橋南詰めにあり、参道は300mも続く大神社で、それぞれ特徴ある狛犬の数も多く、神門はとても立派で素晴らしい彫刻の数々を堪能でき、境内も社殿も綺麗に整備され、楠を始めとする鎮守の杜はより深い神域の厳かさを醸し出しています。この社は、高知県下では最も参拝者の多い神社…ということです。
御祭神:菅原道真公、菅原高視公、北の御方 相殿神:天穂日命、大海津見命
例祭日:2月25日・春大祭古式菜種祭、7月22日・例大祭夏祭、11月18・19日・秋大祭御幸祭
境内社:白太夫社、若栄社、早良宮、島崎神社、大山祇神社
由緒:この社は旧県社で現在は別表神社となっています。
「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘れそ」で良く知られる菅原道真公は、延喜元年(901)に政敵藤原氏によって九州の太宰府に左遷されました。時を同じくして、嫡子右少弁高視公もまた土佐権守として京都を逐われ、土佐国・潮江に居住しました。延喜3年(903)2月25日に父である菅原道真公は大宰府で没し、遺品の剣と鏡が渡会春彦(白太夫)によって高視公に届けられました。 高視公は、届けられた遺品を収め、それを父の霊と考えご神体とし、潮江天満宮を創建したと伝えられています。江戸時代、土佐藩主・山内氏によって現在地に再興されましたが、社殿は放火によって焼失。再建後は大東亜戦争で灰燼に帰しましたが、昭和33年に建て直されました。
社号標 | 神社入口 |
入口にいる明治19年生まれの出雲構え獅子。 保存状態が至って良好です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(石工・三川田常蔵 明治19年(1886)9月建立) |
参道の一の鳥居 | 参道の二の鳥居 |
参道の三と四の鳥居 | 参道の五の鳥居 |
参道途中にいる文久3年(1863)生まれの狛犬。 随分縦長で足が長く、蹲踞の姿勢が良い狛犬です。厳しい目つきをしていますが、体表は滑らかで女性的、鬣が大きく渦巻いています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(文久3年(1863)9月吉日建立) |
随所に彫刻の施された、大きく立派な神門 嘉永6年(1853)の建立です。 |
神門前の大正14年生まれの狛犬。 阿吽共にお腹の下に親そっくりの厳つい顔をした子狛を連れています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(大正14年(1925)3月吉日建立) | |
神門前の明治12年生まれの土佐流れ?狛犬。鼻が大きく朴訥な感じもしますが、目は怒っています。関節の膨らみや肩の筋肉が力強さを感じさせ、鬣や尾の大きな渦は変わりませんが、江戸流れの影響を受けたのか、この狛犬は尾の先の流し部分が、他の狛犬に比べて長いようです。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(明治12年(1879)9月吉日建立) | |
余程酷い被害を受けたのか昭和54年に台座のみ再建されています。再建時に建立年を入れてくれなかったので、狛犬自身の建立年代は不明です。阿は顔が全て無くなっていますが、吽は私達が「見返り狛犬」と命名した朝倉神社と同じタイプの優雅で優しい狛犬で、阿吽共に子連れです。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(台座のみ 昭和54年9月建立) |
神門欄間の「寛ぐ飛天?」 左の飛天は頭上に蛙を乗せ、右の飛天は瓢箪と杖を持っています。 |
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神門頭貫下には飛ぶが如く躍動感に満ちあふれた狛犬が居ました。 | |
神門内の素戔鳴尊と八岐大蛇?の迫力満点の彫刻 天満宮ですから違うかも…? |
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神門中央頭貫下の双龍の彫刻 目がリアルで生き生きとしています。 |
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神門境内側の頭貫下は宝珠を乗せた亀(玄武?)と有翼の龍の彫刻です。 | |
神門と境内の間の梅園にいる明治8年生まれの変わった狛犬です。阿は尻上がりですが顔を左下に向け、台座の小鳥を虎視眈々と狙っていますし、吽は右前脚で玉ならぬ太鼓を踏みしめています…神楽のお手伝いでもしてくれるつもりなのでしょうか? この時期未だ葉がないので撮影可能ですが、もうすぐ葉陰に隠れん坊してしまうのでしょう、こんな変わった子達を撮せてラッキーでした。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(石工・井上五平次 明治8年(1875)9月建立) |
境内入口 | 大きく立派な拝殿 |
拝殿内の様子 | 重厚な本殿 |
境内社・白太夫社 | |
境内社・若栄社 | |
境内社・早良宮 | |
境内社・島崎神社 拝殿と本殿 |
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境内社・大山祇神社 入口と社殿 |
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大山祇神社前の巨岩 磐座でしょうか? |
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境内の様子とご神木 | |
絵馬 | |