森山八幡宮

高知市春野町森山(平成23年3月31日)

東経133度28分8.52秒、北緯33度29分10.82秒に鎮座。

 この神社は三宝山の北西約500m、仁淀川左岸に鎮座しています。周囲は水田で、その中を貫くように参道が造られ、この日は桜が花盛り…、お花見気分で参道歩きをいたしました。
 参道には二基の鳥居が立ち、又、弘化3年生まれの出来の良い浪速狛犬も二の鳥居前にいました。境内に入ると八幡宮の神使いの鳩さんが二羽も居ますが、案内によるとこの社の御祭神は誉田別命では無いそうで、鳩さんは神使いではないのでは?…とも思いましたが、平和の象徴と考えれば何処の神社におかれても良いのでは?と考え直しました。
 妻入りの拝殿は社務所も兼用しているような造りで、奥には流造の立派な本殿が建立されていました。又、境内社も多数祀られ、境内奥には町指定文化財・南北朝時代〜室町時代中期の五輪塔が数基見られます。
 手入れの行き届いた神社で、参拝後にはとても清々しい気持ちになれました。

 御祭神:日野資朝公、日野朝保公
 祭礼日:不明
 境内社:6社
 由緒:この社に創建などの案内は無かったのですが、高知市春野郷土資料館の公式サイトに次のように紹介されています。
 『森山八幡宮の祭神
 八幡宮といえば、祭神はたいてい応神天皇でありますが、森山八幡宮は少しちがっています。この八幡様の祭神は、南朝の忠臣、日野資朝とその子朝保の二柱です。
 ここで日野資朝のことを少し記しておかねばなりませんが、それは今から七百年近く前のことになります。
 資朝は後醍醐天皇の正中年間、政権奪還を計って露見、捕えられて佐渡に流されました(正中の変)。佐渡の守護職本間山城入道は、北条高時の命により資朝を殺すことになりました。
 京都にいた資朝の第二子阿新丸は、風のたよりにこの事を知り、父の死ぬ前に一目会いたいとはるばる佐渡にやって来ました。しかし守りが厳しいため父に近づくことが出来ません。そればかりか、資朝の子が来ていることが分かったため、山城入道は急ぎ一族の本間三郎に言い付けて、資朝を殺してしまいました。
 阿新丸は情けある僧の手引きで父の遺骨を貰い受け、これを兄朝保のところへ送り、自らはせめて仇に一太刀報いようと機会をうかがっておりました。ある大雨の夜、漸く仇の館に潜入することが出来ました。本間三郎の寝所に忍びこんだ阿新丸は、枕をけって三郎を起こし、起き上がるところを一刺し刺し通し、急ぎ外に出ましたが、変事を知った家来共が大騒ぎ、あちらこちらと探している間に竹のしなう力を使って堀を越え、無事に敵地を脱出しました。海岸に逃れたところへ折りよく西へ行くという船が一艘――。こうして危ういところを逃れて京都へ帰り着きました。阿新丸はこの時十三歳でありました。
 資朝の長子朝保は、洛西葛野に父の遺骨を葬り、廟を建てましたが、北条方の目をはばかってこれを八幡宮と称しておりました。
 程なく後醍醐天皇は吉野の行宮で崩御せられ、南朝の勢いは年を追うて弱まるばかり、後村上天皇崩御の後は、資朝の子や孫たちは身の置きどころにも困るようになりました。
 朝保の子勝朝は、八幡の璽と重器を背負い、海を渡り阿波を経て吾川郡森山村に着いたと社伝に記されています。八幡の璽というのは資朝の魂代のことです。
 ここにおいて森山の領主徳弘安宗は、勝朝を迎え厚く待遇していましたが、勝朝の滞在が或は面倒な問題を起こすことになるかも知れないと心配し、
 「私が一つの社殿を建てますから、貴殿は神璽をお祀りになって下さい。そして貴殿が神主としてそこでお住まいになれば文句を言う者はないでしょう。」と言い、社殿を狩谷口(現在地)に建立いたしました。
 勝朝はこの社に資朝と父朝保を祀りましたが、これが正平二十四年といいますから凡そ六百年の昔のことになります。

 町の文化財に指定されている三体の神像のうち、資朝卿の座像は、高さ三十五センチの檜の一木造りです。直垂に侍烏帽子を着用し、謹厳な態度で合掌の姿をしています。ほかの二体は材質が松らしく、一方は口を開き一方は閉じて阿吽の対となっています。これは多分はじめから資朝卿の左右に安置するために造られたものでありましょう。資朝の子孫に当る藤原貞光・照清の肖像ではないかといわれています。』

社頭
参道入口
参道入口に立つ一の鳥居 鳥居に掛かる額
参道を北側道路側からと正面から
参道途中にいる弘化3年生まれの浪速狛犬
とても潰れた顔ですが、落ち着いた出来の良い浪速です。阿の頭上には小さな突起が付いています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(弘化3年(1846)丙午5月吉日建立)
境内入口に立つ二の鳥居
境内の様子
八幡宮らしい神使いの鳩さんが二羽もいました。
百度石 参道脇にいた一体だけの小さな狛犬
境内社 境内社
境内社 境内社
社務所兼用の拝殿
本殿
本殿奥に祀られる境内社二社
町指定文化財・南北朝時代〜室町時代中期の五輪塔数基
参道に咲いていた桜
参道に咲いていた水仙