高知懸護国神社

高知市吸江213(平成23年4月1日)

東経133度34分25.35秒、北緯33度32分28.46秒に鎮座。

 この神社は五台山の南西約400m、国分川河口近くに鎮座しています。
 何処の県も大きな社地と豊かな森があるのが特長の護国神社ですが、この社も山麓に鎮座する関係で大きな森の中にあり、入口に立つ鳥居を潜ると、境内までは石段の参道で森を廻り込む様に上がっていくことになります。参道途中には境内社の開拓神社が祀られており 、広々と明るい境内右には社務所が、左には絵馬堂が配され、中央石段上には左右に翼殿を配した大きな拝殿、透かし塀内に、弊殿、本殿が建立されています。
 又、下の境内には沢山の慰霊碑が建立されていました。

 御祭神:国難に殉じた高知県関係の護国の英霊4万1千余柱
 祭礼日:春季大祭(宵宮)・4月 1日、春季大祭・4月 2日、みたま祭・8月15日、秋季大祭(宵宮)・11月 1日 、秋季大祭・11月 2日、命月祭・毎月10日・20日・27日
 由緒:内務大臣指定護国神社・別表神社。
 御祭神は
 ・明治維新志士四天王とされる武市半平太命・坂本龍馬命・中岡慎太郎命・吉村寅太郎命をはじめとし、東征の陣で没した土佐藩士105柱。
 ・堺事件(慶応4年)で没した11名の土佐藩士。
 ・幕末以来日清・日露、大東亜戦争にあたって国家公共の為に殉じた高知県にゆかりのある英霊。
 ・高知県出身並びに、縁故ある護国の英霊、4万1千余柱。
 明治元年(1868年)、土佐藩主山内豊範が藩校高知致道館で、武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村虎太郎をはじめ東征の陣歿藩士105柱を招魂し、その御霊を鎮祭するため、現在の五台山大島岬の地に社域を定め、翌年の明治2年に建社の土地に因んで大島岬神社と称して社殿竣工とともに神霊を鎮座地に奉還したことに始まる。 明治8年5月31日に招魂社と改称、昭和14年(1939年)に高知県護国神社に改称して特定護国神社となった。 第二次大戦後は占領下における宗教法人令によって国の管理を離れ、社号も元の大島岬神社と称していたが、崇敬者多数の熱望により、昭和34年(1959年)元の社名に復した。昭和41年 ( 1966年)7月1日、神社本庁の別表神社に加列する。

社頭
社号標 参道入口
明神鳥居前にいる昭和17年生まれの構え獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和17年(1942)12月建立)
明神鳥居
石段の参道
石段参道左に設けられた手水舎 手水舎前から見える国分川の様子
境内へと続く石段参道
石段参道左に祀られている境内社:開拓神社
境内入口
境内の様子
拝殿
拝殿内にいた一体だけの陶器製逆立ち狛犬
右翼殿とその中に掲げられている絵
弊殿
本殿と透かし塀
透かし塀内の大磐
海軍之塔 予科練之碑
戦没者慰霊碑 慰霊碑
大石君之碑
境内に咲く桜
裏参道入口にいる明治41年生まれの狛犬
本来は堂々とした貫禄十分の狛犬ですが、脆い石で造ったのでしょうか?剥落が進んでいます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治41年(1908)4月吉日建立)