清川神社

高知市比島町2-13-1(平成19年3月31日)

 この神社は249号線・比島の信号から一方通行を東にはいるとJP 土讃線の高架が見える角に鎮座しています。ところがこの社地に鎮座しているのはこの社だけでなく、四社・熊野神社、田内神社、神明宮、濱田神社と計5社が並列して並び建ち、まるで神社の団地のようで賑やかでした。

 御祭神:長曽我部元親、野中兼山、薫的和尚
 由緒:案内板が無く、創建は不明です。御祭神の三柱は、何れも山内政権から敬遠されながら庶民から畏敬された三柱なので、創建も江戸時代以降と思われます。
 長曽我部元親公は歴史上の超有名人、薫的和尚は薫的神社で紹介してありますが、最後の一柱・野中兼山さんは、本名を良継(元和元年(1615)〜 寛文3年(1664))といい、江戸時代初期の土佐藩家老でした。南学の儒者であり、殖産興業を実践した先駆的な政治家で、事業は潅漑、築港、社会・宗教改革、各種産業の奨励等多岐にわたり、明治維新にいたる土佐藩の経済的基盤を形成した偉人です。一方で過酷な年貢の取り立て、華美贅沢の禁止などで領民の不満は高まり、 また、郷士の取り立てなどは上士の反発を招いていました。兼山を擁護していた二代藩主・忠義公が隠居、三代藩主に忠豊公が付くと、兼山の施政に不満を持つ忠豊の家老等が弾劾状を提出。野中兼山は失脚し宿毛に幽閉され、その年に亡くなりました。けれど、報復は過酷で、男系が絶えるまで一族への幽閉は続き、幽閉が解かれたのは兼山の死後40年後だということです。

神社全景
建立年代不明の恐〜い狛犬。
目が釣り上がり、阿は口中に玉を含み、口蓋に線がくっきり出ています。
耳は横に流していますが頭の後で殆どくっつきそうな感じで、
尾や鬣の大きな渦は土佐狛犬の特徴がでています。
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拝殿
拝殿内の様子 本殿鞘堂