鹿児神社

高知市大津乙3199(平成19年4月1日)

 この神社は土佐電鉄後免線・鹿児駅から線路に沿って西に約250m、国道195号線と後免線線路に面して鎮座しています。線路脇の下の境内は広く駐車場として利用できます。その広い境内の背後は鹿児山へと連なる鎮守の杜で、雨上がりの早朝でもあり普段より更に緑が美しく、神域の清々しさを助長している感じがしました。
 上の境内は打って変わった明るい感じの中、綺麗に掃き清められた境内に拝殿・本殿が建ち、境内社・末社が点在していました。

 御祭神:底筒男神、中筒男神、表筒男神
 例祭日:1月1日・歳旦祭、2月節分・節分厄除祭、2月23日・祈年祭(春祭)、6月30日・夏越輪抜祭、7月19・20日・夏祭、11月7日・秋祭、11月28日・新穀感謝祭、12月31日・除夜祭
 由緒:勧請年月・縁起・沿革等不詳ですが、由緒書きに嘉吉3年(1443)に奉納された鰐口の事が記されており、それ以前の創建である事が確かめられていて、一説には大同元年(806)摂津の住吉大神を勧請したとも伝えられています。全国的にも北向きの社は例が少ないのですが、千年の昔、付近は浦戸の内海で船着き場が北向きだったため北向きに祀られたといわれています。旧来から大津村の内北浦以西(現高知市大津乙全域)、高須、葛島全域の総鎮守として栄えてきました。
 社名については、鹿児は水夫(かこ=ふなのり)の転化したもので、入江であった昔、水夫が住んでいたことから地名となり地名が社名になったと伝えられています。土佐日記に書かれた、承平4年(934)紀貫之が帰京の舟出に別離の宴をひらいた「鹿児の崎」とはこの社の境内です。(参拝の栞より)
 6月30日に執り行われる「夏越輪抜け祭」とは、奈良時代に朝廷行事として一年を二分し、6月30日も「みそか」で、半年間の色々な罪や、悪を祓い清め新らしい年の無病息災を祈願する行事としていたのが、その後民間行事となり現在に至っているものです。この祭りで茅の輪をくぐるのは、参拝者が緑の生気を取り込むことで暑い夏を健やかに過ごしたいと願ったものと言われています。

神社入口
入口にいる明治13年生まれの土佐狛犬。
尾は浪花系の八つ手の様な形をしていますが、鬣が大きな渦巻きの土佐独特の巻き方をしています。土佐電鉄後免線の線路脇に陣取り、踏切番の毎日でさぞやお疲れでしょう…。
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(明治13年(1880)建立)
境内脇、入口前を走る土佐電鉄後免線の雄姿
下の境内の様子と裏参道入口 上の境内への階段
雰囲気がニホンザル、建立年代不明の先代さん。
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階段途中の面白いご神木 拝殿に掛かる社額
拝殿 拝殿内の様子
本殿覆い屋 末社
境内社・若宮神社
境内社 境内社・坂本神社
沢山の木が寄り添ったかのように見えるご神木