若宮神社

高知市佐々木町188 (平成29年1月7日)

東経133度30分05.09秒、北緯33度33分28.87秒に鎮座。

この神社は、JR土讃線・高知商行前駅の北北東400m程の辺り、旭が丘ニュータウンの西隣に鎮座しております。

御祭神 高橋安之丞

由緒
義民安之丞は、吾北村上八川田野々の*里正、高橋安右ヱ門の長男として慶安元年(1648)に生れる(里正は名字帯刀を許される地位であり今の村長格)。貞享(1684〜1687)の頃は土地を開拓、茶の栽培を奨めるリーダーとなっていた安之丞は、貞享の飢饉のとき、村を救おうと年貢の減額を藩に嘆願したが、役人と安之丞の活躍を妬む者に「一揆の首謀者」と密告され、杓田村のはずれで役人に縄を打たれ入牢させられ取調べもせず、元禄元年(1688)10月雁切川(一説に九反田)において獄門(さらし首)となった。
その夜に首が飛んで自宅に帰り、妻の用意した食事を平らげたという。役人の娘は処刑の同時刻に変死、その後役人も自害、さらに罪に陥れた者達の周辺にも不審な災難が続いたという。胴体は杓田村の百姓清兵衛に下げ渡された。(安之丞、18歳の時、城下の帰り道に、14,5歳ぐらいの少年が道端で嘆き悲しんでいた。尋ねると「私は杓田村のもので父は長煩いの床にあり、毎日草鞋を作り薪を売って、父の好きな酒を買って帰る途中、誤って徳利を割ってしまい再び酒を買うお金もなく、途方に暮れております」と、それを聞いて孝行に感激し、酒や薬を買い求めて帰らせた。この少年が清兵衛で、その後家業に励み、杓田村にて立派な百姓になった)安之丞が、処刑に逢うや、官に願い出て、胴体を引き取り、新しい衣を着せ家の近くに埋葬した。その後埋葬地に墓を建てたのがこの地の始まりです。そのそばに安之丞を奉る若宮神社が建てられ、義民高橋安之丞と多くの人々に崇め慕われて来ましたが、昭和63年4月26日未明、悪しき者により放火され焼失、平成16年7月31日に、関係者、及び町内のご協力により社殿を再建、その後境内地も整備され今に至っております。
境内由緒書き より。

*里正(りせい)とは、古代中国および近代以前日本の役職名である。時代により内実に差異があるが、おおよそ民の最上位もしくは官の最下位を行き来し、あるいは官民境界線上にいた役職である。江戸時代の庄屋の原型となり、また、庄屋の別名としても使われた。
ウィキペディア より

参道入口

参道入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和12年(1937)6月吉日建立)

境内

手水舎

鞘堂

本殿


義民高橋安之丞墓

石碑