夜須大宮八幡宮
香南市夜須町西山馬場崎(平成19年3月30日)
この神社は国道55号線から県道51号線に入り約3.3km、夜須小の北に道路に面して鎮座しています。石垣が組まれた境内には杉か檜が中心の鎮守の杜が形成され、真っすぐに伸びた参道奥に横に広い拝殿と流造りの大きな本殿が静かに建っています。又、境内には早春に執り行われる「百手祭」の碑も建っていました。「百手祭」とは毎年1月の2回目の卯と辰の日の2日間、五穀豊穣や家内安全を願って、氏子の中から選ばれた12人の射手が2日間で1200本以上の矢を射る祭りです。400年以上の伝統を誇る県内三大弓行事の一つで、夜須町の無形民俗文化財です。その昔、人や家畜を襲い田畑を荒らしていた牛鬼を、弓の名手だった近森左近という人物が退治したことを祝って始まったという伝説が残っています。
御祭神:応神天皇
例祭:毎年1月の2回目の卯と辰の日・百手祭、旧9月30日・つんつく踊り
由緒:永承5年(1050)に京都の石清水八幡宮の分霊を受けて創建されたました。大西という地区にあるので、大西八幡宮とも呼ばれ地元の人々に親しまれています。平安時代後期、夜須荘は石清水八幡宮宝塔院領の一つとなり、荘園の鎮めとして勧請されたのです。始めは千切に仮休座し、出口、西山中村と社地を転じ、最後に現在地に遷座しました。神仏混淆の時代には所属寺院も多数有り、広大な社領を持っていました。長宗我部元親の信仰は篤く春秋に訪れていましたが、山内氏入国後はその保有を減ぜられました。又参道では流鏑馬も行われ、現在も残る馬場の呼称はここから名付けられたものです。現社殿は文化4年(1807)に改装されています。
秋の例祭に奉納される「つんつく踊り」は、寛永年間(1624〜44)に、豊漁祈願・海上安全のために、漁民たちが他国で聞き覚えた小踊り唱歌をアレンジして踊り始めたものです。
神社入口 |
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天保2年(1831)生まれの浪花狛犬。阿の顔は大分崩れています。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(天保2年(1831)建立) |
拝殿 |
拝殿内の様子 |
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流造本殿 |
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