大川上美良布神社

香美市香北町韮生野字大宮243番1(平成19年4月1日)

 この神社は高知市方面から国道195号線を物部川の流れに沿って遡ると、右手に「道の駅・美良布」があり、そのすぐ先の大宮前信号を左折するとすぐ右側に鎮座しています。この社は今回は予定外だったのですが、前日ホテルに置いてあった「高知まんなかガイド」というパンフレットにこの社の紹介があり、夫がその気になって急遽予定変更、今日はこの社をメインに周辺を廻りました。大宮前信号から少し坂を下り、小川を渡ると樹齢1000年という御神木の大杉が聳える境内入口に到着。鎮守の杜に囲まれた境内は広く、正面に渡り廊下で社務所と繋がっている拝殿と奥に本殿があり、それぞれの社殿には多くの彫刻が施され、暫し見とれてしまいます。また境内左の通夜殿内には、回り舞台があり、昔から狂言が催されているのだそうです。

 御祭神:大田々祢古命、合殿:大物主命、活玉依比賣命、陶津耳命、櫛御方命、飯肩巣見命、美良比賣命、健甕槌命
 例祭日:夏祭・7月27日、28日、秋例大祭・11月2日、3日
 境内社:若宮神社、琴平神社、御崎神社
 由緒:今から約2000年前の崇神天皇の時代に疫病が流行して万民が苦しんだ時、天皇は大物主命のお告げによって大物主命の子孫の大田々称古命に神々を祭らせ、それ以来疫病が治まって人々は安んじて生活できるようになったといわれている。当神社の創建は今から約1500年前の雄略天皇の時代といわれているが定かではない。しかし仁明天皇の承和8年(841)以前より祭られていたという古い記述がある。当神社は延喜式の式内社で県内では二十一社の一つの由緒深い神社で古くから韮生郷の総鎮守として崇敬されて来た。嘉永5年(1852)勅宣により神階正一位を授けられている。
 現在の社殿は明治2年に落成、当時の名工島村安孝、坂出定之助、原卯平、別役杢三郎等によって建てられ拝殿、幣殿、本殿には立派な多くの彫刻が残されている。この社殿は高知県保護文化財に指定されている。(境内案内板より抜粋)
 因みに社名の「大川上」は、物部川の川上という意味で、戦国時代の棟札には、「大河上宮」「川上大明神」とあるそうです。また、「美良布(みらふ)」は、「みら【韮・韭】ニラの古名(大辞泉より)。」で、地名の韮生野とも通じ、「韮が沢山生えている地」という意味なのだそうです。

ここはアンパンマンの生みの親・
やなせたかしさんの故郷です。
街灯もアンパンマン。
今日も町を照らし続けています。
神橋から見た神社入口
境内入口
表参道入口にいる安政6年(1859)生まれの浪花狛犬。
阿は眉間に第三の目か小さな角のようなものを付け、吽は宝珠を付けています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(安政6年(1859)9月16日建立)
風雪に浸食されて出来た自然石を使った趣のある灯籠
重厚な拝殿 拝殿に掛かる社額
「正一位美良布神社」
拝殿軒の有翼の龍?麒麟?の彫刻
拝殿・挙鼻は波と亀
拝殿・木鼻はおっとりした狛犬
拝殿・妻には鳳凰
華麗で煌びやかな本殿
本殿・挙鼻は左から
宝珠を捧げ持つ人物、稚児を抱く武士、若武者と仙人という感じに彫られています。
本殿・頭貫の下にいる狛犬。この子達も長閑な感じに微笑んでいます。
吽のお腹の下からは子狛も覗いています、可愛いですね。

本殿・木鼻は獰猛そうな龍
本殿・欄干の龍はガラスケースに入れられて保護されていました。
境内社・若宮神社
境内社・琴平神社
境内社・御崎神社
狂言奉納時に使用される
回り舞台が付いている通夜殿
上参道入口にいる明治14年生まれの土佐狛犬。
小顔で猫背、大きな鬣の渦の上に耳を乗せ横に流し、尾もボリューム感があり、華やかに造られています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治14年(1881)6月吉日建立)
樹齢・1000年、樹高・40mの御神木の杉
参道が地域の道路となっている、玉垣の外に居た明治34年生まれの狛犬。
整った良い面構えで、耳をピンと立て如何にも守護霊獣という感じがします。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治34年(1901)10月20日建立)
裏参道入口鳥居に付いていた竹筒は
とても変わった縛り方をしていました。
境内に咲いていた8分咲の桜