蘇我神社・八幡宮

吾川郡いの町波川2062(平成23年3月31日)

東経133度24分56.63秒、北緯33度32分43.71秒に鎮座。

 この神社は波川駅の北約550mに鎮座しています。社名から多分蘇我氏を祀る神社であろうと推測して参拝した神社です。
 入口は道路が二股に分かれる分岐点にあり、奥に行くに従って小丘上の社地が広くなる二等辺三角形をしています。分岐点に「郷社蘇我神社」の社号標が立ち、土佐型狛犬を見てから鳥居を潜ると、平坦な参道の右側には境内社が祀られ、境内へは真正面に石段が続いています。境内へ上がると正面に大きな千鳥破風付きの拝殿が建ち、後ろに回ると大きな覆い屋内に彫刻が施された本殿が建立されています。また社殿脇には土俵が設えてありました。

 御祭神:蘇我神社・石川宿祢命、八幡宮・仲哀天皇、応神天皇
 祭礼日:蘇我神社:祈年祭・3月4日、夏祭・旧6月20日、例大祭(秋祭)・11月26日、八幡宮:旧8月?日
 境内社:八坂神社、天満神社
 由緒:創建不明。古くより八幡と相殿にして御神体は一尺二寸四方の箱とあり(「郡 神体記」より)
 また、サイト「南国土佐へ来てみいや」には下記のように紹介されています。
 『前略…元は曾我と言う名を、八代・孝元天皇の御子・彦太忍信命の孫に当る武内宿祢の第三子・石川宿祢が姓を蘇我と改めたとか・・・
この蘇我石川宿禰は、日本神話に出てくる蘇我氏の祖とされる・・・。その一族の子孫と言う蘇我国光が、鎌倉時代の建久年間(1190-1198)に、幕府から土佐に派遣され、此処・波川(伊野)を領して勢力を伸長したそうながです。
 その後、波川氏を名乗るようになり、天正8年(1580)まで、代々波川氏の統治が続いたがじゃけんど、波川玄蕃城主・清宗は長宗我部元親軍と戦こうて、一族は滅ぼされるがです。ただ一人四男・波川蘇我祐左衛門清信は家臣と共にひそかに脱出し生き延び、慶長5年(1600)長宗我部が滅びた後この地に戻ったそうながです。
 この神社は、その子孫が建てた神社じゃとか・・・。…後略』

社頭
神社入り口 社号標
「郷社蘇我神社」
入口にいる明治19年生まれの土佐型狛犬
土佐型の中でも鬣や尾の毛の流れが長く、派手目那印象を受けます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治19年(1886)9月吉日建立)
入口二立つ一の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「蘇我神社 八幡神社」
参道の様子
参道右に祀られる境内社入口と鳥居 鳥居に掛かる額
「八坂神社 天満神社」
境内社:八坂神社 天満神社社殿
八坂神社 天満神社社殿目貫彫刻
八坂神社 天満神社木鼻・龍
石段参道の様子
境内入口に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「蘇我神社 八幡宮」
境内の様子
拝殿
拝殿内の様子
本殿覆い屋
本殿木鼻・龍
本殿左右の長押上彫刻
本殿縁下彫刻
本殿脇の土俵 歌碑