天石門別安國玉主天神(あまいわとわけやすくにたまぬしあまつかみ)

吾川郡いの町神谷755(平成23年3月31日)

東経133度23分29.13秒、北緯33度32分59.29秒に鎮座。

 この神社は小村神社前駅の北約1.5km、194号線から一本北の道路から、小川沿いに北へ入ると、左側に鎮座しています。
 地図には、貴船神社とありましたが、大正8年、郷社・貴船神社と合祀し、村社・天石門別安國玉主天神社が郷社となりました。仁淀川上流の黒瀬にも同名社が鎮座し、この社と共に天石門別安國玉主天神社の論社となっています。
 道路脇には、社号標、鳥居が建立され、駐車場が造られています。鳥居を潜ると参道は突き当たりで右に曲がり、狛犬が出迎える中、石段を上がると境内に入りますが、参道左の境内社が祀られる後ろ側は巨岩の岩山で、此処が神聖視されたわけが理解できます。大きな千鳥破風付きの拝殿後ろには弊殿、流造の本殿は岩山の直前に、磐に接する様な感じに建立されています。

 御祭神:天石門別安國玉主天神、高オカミ神
 祭礼日:11月18日
 境内社:三社
 由緒:延喜式内社。天文9年造替以降の棟札を有す。藩政時代は藩主山内氏の崇敬厚く、同家家老宿毛領主山内氏も崇敬し、吾川高岡二群にわたり崇敬者極めて多し。元村社たりしが郷社貴船神社を合祀し大正8年郷社となる。
(「神社名鑑」より)

 神社明細帳に、勧請年月縁起等未詳だが、住昔より小祠を祭り来れりとある。『土佐國式社考』は、「重遠謂、此社在二神谷坤隅山上一、舊山麓巨巌下有二叢祠一不レ知二 何社一、元録壬甲、波川神主偶得二棟札拾巌穴一、驚而申レ府、明年新徒二于此地一、邇日國宰寄二附水田若干一、祭祀加レ敬此社之顯、豈人力之云哉、」その棟札については更に「其礼云、天野岩戸安國玉之天神、天文九年(一五四○)庚子霜月八日、勝賀瀬越後造二立之一、」と。引用が長いが、これが藩政期、當社が式社と認定されたキメテである。(棟礼の末尾には更に、祭日九月十八日下分勝賀瀬衛門太夫とある。)。
 『皆山集』『南路志』には棟礼の発見について詳しい。元禄五年(一六九二)の棟礼の発見者高加茂壹岐は、発見の前夜同じ霊夢を見た日下・鹿敷の神主二人と共に巌石の許に集り、波川の神主が魁して巌に梯をかけ登り蔦葛をむしり明け、昨夜の夢の如く棟札を得た。勝賀瀬氏は、仁掟川上流の勝賀瀬を本拠とする土豪で、神谷にも勢力を伸ばしてゐたことは、『由緒畧記』に、勝賀瀬氏は惟宗姓にして古へより神谷に土居を構へてゐたとあるによつても明らかである。
(「式内社調査報告」より)

社頭
入口に立つ台輪鳥居
鳥居に掛かる額
「天石門別安國玉主天神社 貴船神社」
社号標「延喜式社
天石門別安國玉主天神社」
参道の様子
境内石垣下にいる一体だけの狛犬
縦置きで、左顎が欠けた阿が参道左側にいます。やや腰を上げた動物に近い姿で、猛々しい顔つきの力強い狛犬です。
境内入口
境内入口に居る昭和3年生まれの狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)4月建立)
境内内参道の様子
巨大磐と境内社入口
巨大磐前に祀られる境内社二社
社殿前の境内の様子
拝殿
拝殿内に掛かる額「天石門別安國玉主天神社 貴船神社」
弊殿
流造の本殿
境内背後の岩山 社殿左に立つ磐座?立石?
拝殿からの渡り廊下と社務所
境内から神社前方を見ると桜の花盛りでした。