横須賀市長坂3-12-45 (平成22年5月3日)
東経139度37分39.63秒、北緯35度13分32.38秒に鎮座。
この神社は荻野小学校の北西約400m、長坂町内会館に隣接して鎮座しています。
長坂町内会館前に立つ社号標を横に見て広場にはいると、右側には遊具が、左側正面には石垣が組まれ、鳥居が立っています。石段を上がると左に氏子会館、正面に忠魂碑と二の鳥居が建立されています。二の鳥居後ろにはデフォルメ化された狛犬がおり、又石段を上がると社殿の建つ境内です。境内にいる安政5年生まれの江戸流狛犬は名品で、この地の石工さんの作品です。境内中央には向拝のない拝殿と、脇障子に狛犬の彫刻がある本殿が建立されています。
御祭神:伊邪那岐尊、相殿:伊邪那美尊、穂須勢理尊、大日靈貴命
祭礼日:1月元旦・歳旦祭、2月・祈年祭(春の御神楽)、9月第一土・日曜日・例大祭(湯立神事)、11月23日・感謝祭(秋の御神楽)
境内社:稲荷社他
由緒:当社は、もと祖母山明神と称し元和2年(1616)10月 第108代後水尾天皇の御代に日向の国(今の宮崎県)にある姥嶽明神を勧請したと伝えられ、元和2年の棟札と元禄16年(1703)の棟札を蔵しているが、その他の由緒については詳かにされていない。
明治6年一村一社に定められ祖母神社となった。更に明治41年7月次の三社を合祀することになった。
秋葉社(鹿島)穂須勢理尊、白山社(谷戸)伊邪那美尊、若宮社(石谷戸)大日靈貴命
この外に白山社(寺地)、山王社(里)、浅間社(堀越)、祇園社(荻野)を合祀したことも記録に残っている。そして大正3年神饌幣帛供進神社に指定されたが終戦後憲法により国及びその機関はいかなる宗教的活動もしてはならないことになりこの制度は廃止された。
また、この神社は昔から安産の神社として多くの人々から崇敬されている。なお当神社の社殿が権現造りと記録されているが、日光東照宮よりも一年早く建立されているものである。
(境内「祖母神社の由来」より抜粋)
社頭 社号標 |
一の鳥居 |
二の鳥居 |
二の鳥居後ろにいる狛犬 平顔のデフォルメ化された狛犬で、阿は子狛を連れ、吽は玉を持っています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
|
石段の参道 |
境内入口 |
境内の様子 |
境内にいる安政5年生まれの江戸流狛犬 阿は牡丹の花に手を掛け、吽も花か子狛に手を掛けていたようですが、其処の部分が欠けています。入道頭の頭頂部、横に張り出した肉厚の垂れ耳、鬣や尾の微妙な流れ方、顎髭、ふくよかで穏やかな顔つき、わざと残した鑿跡が体毛を現しており、余りの見事さに江戸の石工さんの作品かと思いましたが、地元の名工が造り上げた物でした。この石工さんは「三浦半島 西の雄」とも呼ぶべき名工の様で、三浦市などにも何対か残っているようですが、この後道路混雑が激しく、南下せずに三浦半島東部に回避してしまったので、今回はこの一対だけとなってしまいました。次回、混雑しない時期を見計らって、残りの狛犬探しをしたいと思っています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
|
(佐島村石工・上田伊右衛門 安政5年(1858)戊午歳6月吉日建立) |
拝殿 | |
拝殿内の様子 | |
本殿 | |
本殿脇障子・狛犬 | |
境内社 | 境内社・稲荷社 |
御神木・公孫樹 | 御神木 |