横須賀市三春町3-33(平成22年5月3日)
東経139度41分24.65秒、北緯35度15分44.08秒に鎮座。
この神社は堀ノ内駅の北約280mに鎮座しています。住宅地の真ん中に鎮座していますが、嬉しいことに境内周囲には未だしっかりと大木が残されています。
綺麗な玉垣が並んだ入口から拝殿が正面に見え、右側の社務所からは渡り廊下が拝殿まで造られています。入母屋造りの拝殿の後ろには、垣内に幣殿・本殿が建立され、社殿左奥には境内社の稲荷神社も祀られています。
又、拝殿前には明治甲午歳 (27年)の狛犬と、神輿庫脇にははじめ狛犬が居ます。明治の狛犬も毛の流れが綺麗な良い狛犬ですが、ここでは何といっても神輿庫脇のはじめちゃんが主役でしょう。丸々としたお尻が素晴らしく魅力的な素朴な子でした。
御祭神:天児屋根命
祭礼日:7月30日に近い土日曜日
境内社:稲荷神社
由緒:古くは猿島に鎮座していました。猿島は十嶋と呼ばれていたので、この社も十嶋大明神と尊称され、この頃も公郷地区の総鎮守でした。18世紀に春日大明神と改称されました。安永3年(1774)、現在地に別殿が造営され、享和元年(1801)拝殿を再建しました。猿島に春日神社がある頃には、旧暦の3月3日になると、氏子は海を渡って大挙して船で島に渡り、年に一度の例祭を営んでいたそうです。
明治17年、猿島が軍用地になったために、山崎の現在地に遷座されました。明治42年には公郷地区の15社10柱が合祀されています。
平成12年、百年以上途絶えていた「信仰の島・猿島」での例祭が、氏子たちの手によってよみがえりました。明治17年6月に島に旧陸軍の要塞が完成すると、一般の立ち入りが禁じられ、本殿もやむなく対岸に移され、島での伝統の例祭も立ち消えとなっていたのです。本殿の「御霊」が神輿に収められ「里帰り」する神事は、神社近くの東部漁港から七隻の船を仕立て、総勢百人以上が神輿とともに島に渡り、本殿跡地での神事に臨むほか、砂浜で神輿を担ぎました。宮司さんは「諸事情があり、毎年この様な神事を執り行うことは出来ないが、数年に一度は島で例祭ができれば…。」と話されているそうです。
(「神社散歩」参照)
社頭 | |
入口に立つ明神鳥居 | 社号標 |
参道・境内の様子 | |
拝殿前、明治甲午歳 (27年)生まれの狛犬 阿吽の位置が反対で、吽は「丸に違い鷹の羽」の紋付きの円柱に手をかけています。春日神社の神紋は「藤丸」ですから、これは奉納者の家紋と思われます。鼻先が薄く、やや下向きの潰れた感じの顔ですが、鬣や尾の渦が大きく毛先が優雅に流れ、全体としては派手な感じの狛犬です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(明治甲午歳 (27年 1894)建立) |
拝殿 | |
本殿 | |
境内社:稲荷神社 | |
神輿殿 | |
神輿殿脇にいるはじめちゃん 阿吽の位置が反対で、吽は補修が施されています。はじめとしては随分進化していますが、丸々としたお尻が素晴らしく魅力的です。思わず撫で撫でしてしまいました。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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御神木 | 御神木 |