走水神社
横須賀市走水2-12-5(平成22年5月3日)
東経139度44分4.95秒、北緯35度15分31.16秒に鎮座。
この神社は走水港西に鎮座しています。神社入口には社号標と明神鳥居が立ち、弘化4年生まれの剽軽で逞しい狛犬がこの社を護っています。この日は丁度「走水包丁供養祭」が行われていて、境内は沢山の人で賑わっていました。
境内は上中下の三段に分かれていて、下の境内には社務所や湧水、中境内には弟橘媛命歌碑や包丁塚、上の境内には社殿や境内社の稲荷神社、別宮、水神社(河童大明神)等が祀られ、更に社殿左側から上に上がると弟橘媛命歌碑「さねさし さがむのおぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」があり、ここからは眼下に走水港の様子が良く見えました。実はここよりもっと上に境内社:諏訪神社、神明社、須賀神社が祀られているのですが、今回は行き忘れてしまいました。
御祭神:日本武尊、弟橘媛命
祭礼日:節分祭・2月上旬の土または日曜日、針供養・旧暦の2月8日前後、夏祭・7月中旬〜下旬日曜日(西暦奇数年本祭)、秋季例大祭・10月第二日曜日、包丁供養祭
境内社:諏訪神社、神明社、須賀神社、稲荷神社、別宮、水神社
由緒:走水の地名は、すでに古事記(712)や日本書紀(720)の中に表れています。大和朝廷時代には、上総を経て東北地方に渡る最も便利な道として、古東海道が通じておりました。
神社の創建された年代については、享保年間の火災で、神社の記録や社宝が焼失してしまったのでわかりません。伝説では、景行天皇の御代に、東夷征伐の命を受けた日本武尊が、この走水から上総に渡海するにあたり、村民に「冠」を賜りましたので、冠を石棺に納めて、その上に社殿を建て、日本武尊を祀ったことに始まると伝えています。日本武尊が渡海の際、海上が荒れ、いまにも舟が沈みそうになりました。海神の怒りと考えた弟橘媛命(日本武尊の后)は
「さねさし さがむのをぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」
の歌を残し、日本武尊に代わって海に身を投じ、風波を鎮めました。弟橘媛命は、もと旗山崎に橘神社として祭られていましたが、その地が軍用地に買収されたため、明治42年、この神社に祭られました。…後略…。
神社入口 社号標と明神鳥居 |
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入口にいる弘化4年生まれの狛犬
小顔ですが潰れたベースのような顔つきの、剽軽な感じの狛犬です。背骨がくっきりと浮き出て、尾は高い位置から下に流しています。逞しい体つきですが、剥落が始まっています。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(弘化4年(1847)丁未9月吉日建立) |
中境内の様子 |
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弟橘媛命の歌碑 |
弟橘媛命・日本武尊歌碑 |
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包丁塚とその背後の社 |
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上の境内への石段参道 |
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改築中の拝殿 |
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拝殿目貫彫刻・鳳凰 |
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拝殿木鼻・狛犬 |
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本殿 |
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露国機械水雷 |
境内社:稲荷神社 |
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稲荷神社の神使い・お狐様 |
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稲荷神社の神使い・お狐様 |
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別宮
武尊の従者 弟橘媛命に殉じた侍女等をお祀りしています。 |
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本殿裏側にいた先代狛犬 |
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境内社:水神社(河童大明神) |
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弟橘媛命歌碑
「さねさし さがむのをぬに もゆるひの
ほなかにたちて とひしきみはも」 |
弟橘媛命が描かれた絵馬 |
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弟橘媛命歌碑付近から見える走水港の様子 |
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御神木 |
御神木・公孫樹 |
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