安房口神社

横須賀市吉井3-11(平成22年5月3日)

東経139度42分5.21秒、北緯35度14分51.48秒に鎮座。

 この神社は新大津駅の南東約1kmに鎮座しています。周囲は湘南山手の新興住宅街。こんな所に神社が未だ存在するの?という雰囲気の中、車を走らせていくと、住宅街の一角に大きな森が残され、それがこの社の鎮守の杜でした。神社がなければここも新興住宅街の一部と化していたと思われ、改めて神社が日本の大切な森を残す、大きな役割を担っていることを実感できる光景でした。
 参道入口には案内板が立てられ、この社には社殿が無く、御神体の霊石を信仰する、古い形態の自然崇拝をそのまま残した神社だと言うことが分かります。
 広い石段参道を上がると、一の鳥居が立ち、その後ろはすぐに木道が整備された参道で、マテバ椎等が鬱蒼と茂った鎮守の杜の中を進むと、自然崇拝のお社だという先入観があるためか、マテバ椎のすらっと伸びた白っぽい木肌がそう感じさせるのか、古代の日本へとタイムスリップしたかの様な、異様な印象と奇妙な感覚を覚えました。
 参道が左に曲がると平地となり、二の鳥居を経て境内へと入ります。石畳の正面に三の鳥居が立ち、その奥の大きな御神木の下の金属製の囲いの中、御神体の霊石が見えてきます。夕暮れ時の只でさえ薄暗い雰囲気の中、木々に覆われた境内と御霊石は、実に神秘的で森厳な雰囲気を漂わせていました。感覚が鈍くなっている現代人の私達が、こんな感じを受けるのですから、古代の人々が此の地と霊石に神秘性を感じ、崇めるようになったのも、必然の事なのかも知れません。
 又、境内には全く異なるタイプの狛犬が、二対建立されていました。

 御祭神:天太玉命
 祭礼日:祈年祭・春分の日前後の吉日、例大祭・8月第一日曜日前後の吉日、新嘗祭・11月23日前後の吉日
 境内社:牛宮五頭天王の碑、冨士講の碑、三十三度大願成就の碑
 由緒:創建年代は不詳。磐座信仰という古い型を保っていて三浦半島では最古の社ではないかといわれています。
 鎮座まします御神体の霊石は、その昔、安房国洲崎明神に竜宮から献上された大きな石が二つ置かれていて、ある時、その一つが安房大神太玉命の御霊代として東国鎮守のためにこの場所に飛んできたといわれています。
 言い伝えにによると日本武尊が東征のとき、勝利祈願したと伝えられ、源頼朝、北条義時なども武運を祈って参拝したといわれています。また三浦一族が航海の神として信仰したとも伝えられています。
 この地は、房総への重要な交通路で古代の東海道の要衝でした。
 吉井鎮守であるこの神様は、安産祈願の神として古くから信仰されています。出産前に参拝し御神体まわりの小石を一つ持ち帰り安産のお守りとし、めでたく出産すると玉石を二つにして返し感謝の気持ちを持ってお礼参りをしています。
 鎌倉幕府初代将軍源頼朝の妻で、のちの尼将軍といわれた北条政子も懐妊のおり、安産祈願に参拝したといわれます。

参道入口
一の鳥居 鳥居に架かる額
参道はすぐにマテバ椎等が鬱蒼と茂った鎮守の杜の中に入ります
神域は何処までも静寂の中にあり、白っぽい木肌ですらっと伸びたマテバ椎の樹幹、鎮守の杜としては少し異様な印象と、古代の宗教観を垣間見たような気がしました。
左に曲がると参道は平地となります
参道途中に立つ二の鳥居 社号標
数段の石段を上がるといよいよ境内入口です
境内入口
境内の様子
境内に立つ三の鳥居
嘉永4年生まれの狛犬
潰れ顔で、重量感に溢れた体型をしています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(嘉永4年(1851)9月吉日建立)
大きな御神木の下、注連縄の向こうに御神体の霊石が見えてきました
霊石を護る慶応元年生まれの狛犬
境内にいる狛犬とはうって変わって、滑らかで女性的な感じのする姿の美しい狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(慶応元年(1865)乙丑8月吉日建立)
御神体の霊石
末社 牛宮五頭天王の碑、冨士講の碑、
三十三度大願成就の碑
御神木