神明社

横須賀市長浦町5-9-4 (令和6年3月27日)

東経139度38分39.68秒、北緯35度17分15.44秒に鎮座。

この神社は、JR横須賀線・田浦駅の東南東400m程の辺り、長浦町の街中に鎮座しております。

御祭神 大日孁貴命・八王子神・稲荷大神

由緒
創祀については明確な根拠となる資料は存しないが、天徳3年(959)8月ころの造立と伝えている。
横須賀市の吾妻半島(現在は運河により区切られて吾妻島となり、米軍の用地として立ち入りのできない区域になっている。)の先端地域一帯は、箱崎と呼ばれ、その地に創建されたものである。
『新編相模國風土記稿』三浦郡巻之九長浦村の条には、「神明社箱崎明神ト號ス。字箱崎ニ在ル故ナリ。村ノ鎮守トス。神躰銅像。文祿4年(1595)ノ勧請ナリ。其棟札今ニ藏ス。文ニ奉建立伊勢天照大神宮。相州三浦郡長浦之村。文祿4稔(1595)5月4日。大檀那鈴木雅樂助トアリ。例祭9月9日。村持。」と見え、箱崎の地域の鎮守として崇敬されていたことが知られる。文禄4年(1595)の棟札というのは、この地域の鈴木氏により再建された時のもを刺しているのであろう。地形的にみても、古来、伊勢・熊野方面との海上交通にも関わることの多かったと思われるこの地に、鈴木氏の祖先の関与もあって、鎮祭されたのが創祀と考えてよいと推察できる。
明治13年(1880)9月、横須賀軍港が拡張するのに伴い、箱崎の地が海軍用地として買収されたため、長浦字西の浦に移転したのであるが、この神域(横須賀線のトンネル出口北側の山上)も鉄道線路の増設により参道(階段)を断たれて交通不能となり、昭和25年(1950)12月、現在地に境内を整備し、社殿を移転修築して御遷座申し上げるに至ったものである。以降、現在にいたるまで、「長浦町内」(長浦町五丁目区域)の鎮守として氏子の崇敬により、年々の祭典が執行されてきている。
特に、夏の例祭には湯立て神楽が奏され、町内神輿の渡御もおこなわれる。昭和21年(1946)6月、宗教法人令により法人届け出をした。
境内由緒書き より。

参道入口

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(日露戦捷紀念 明治37,8年(1904,5)建立)

拝殿

本殿覆屋

本殿