鹿島神社

横須賀市西逸見町2-70 (令和6年3月27日)

東経139度39分14.49秒、北緯35度16分44.00秒に鎮座。

この神社は、京浜急行・逸見駅の北西300m程の辺り、西逸見町の街中に鎮座しております。

御祭神 武甕槌神

由緒
旧鎮座地は現在の海上自衛隊の海辺で逸見森崎字七番七五二番地にあった。応永十七年(一四一〇)年四月八日、三浦遠江守が常陸の鹿島神宮より勧請したと伝えられる。相模風土記に「村の鎮守なり、御神木は木像で一尺二寸、背に応永十七庚寅卯月初八日、五郎四郎□□佛子某敬と記し花押あり」と見える。又天正二年(一五七四)十一月二十日朝比奈六大夫造営の棟札と寛永十三年(一六三六)八月二十四日三浦按針(英国人のウィリアム・アダムス(一五六四〜一六二〇年))の子(ジョゼフ・アダムズ(一六〇五〜没年不詳))が社殿を造営した棟札が存在していたが、明治二十四年(一八九一)八月に乞食により全焼した。同年明治二十四年(一八九一)八月に仮殿を造りその後の明治二十八年(一八九五)六月五日現在地に社殿を建造して遷座して今日に至っている。明治二十九年(一八九六)から祭礼日を六月五日に改められた。旧社殿の消失前の明治六年(一八七三)に村社に列格し、現社殿に再建後の明治四十一年(一九〇八)には逸見 (横須賀市)町の各地に鎮座していた稲荷社、熊野社、神明社、浅間社、子神社、山中社を鹿島神社に合祀した。更に、明治四十三年(一九一〇)十一月八日指定村社になった。先の第二次大戦後は氏子により民主的な運営となり今日に至っている。
ウィキペディア より。

神社入口

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬

(昭和5年(1930)4月建立)

拝殿玉垣内の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿覆屋


神楽殿