横浜市鶴見区潮田町3-131-1 (令和?年?月?日)
東経139度41分31.31秒、北緯35度30分04.08秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR鶴見線・鶴見小野駅の北東1.2km程の辺り、潮田町の街中に鎮座しております。
御祭神 国常立尊・国常猛命・五十猛命・素盞嗚尊・豊雲野命・国狭槌命・豊受比売命・岐久理比売命・誉田別命・菅原道真公
由緒
当社は、大正初期、京浜工業地帯の一代発展に伴い、耕地整理・区画整理による街造りのため、西潮田村の御嶽社と東潮田村の杉山社を合併し、大正9年(1920)、潮田神社と改称して潮田地区の中心地点である現在地に鎮座されました。社伝に依れば、景行天皇40年(110)、日本武尊が東夷征伐の航海の途中、旧西潮田村の古杉老松の鬱蒼たる地に小祠を建て、国土の神「国常立尊」、「豊雲野命」、「国狭槌命」を奉斎し、征途の無事安全を祈願したことが始まりと伝えられています。
中世に至り、潮田村は小田原北条氏の領地に属し、北条氏の信仰崇敬に殊に厚いものがありました。正親天皇の御世、永禄(1558〜1569)の頃太田道灌の曾孫太田新六郎康資の領地神社として、たびたび修復されたことが、東潮田村の杉山社に残る御神鏡からうかがうことができます。
また、正保年間(1644〜1647)に至り、地頭松下孫十郎が幕府の命により社殿を改築し、寛文10年(1670)、幕府社領一段四畝二十歩を寄進したことが御嶽大権現と称された西潮田村の御嶽社の棟札、鳥居等にのこされています。
由来、東のお宮、西のお宮と親しまれ、特に土地が海浜であったため、房総漁民船が大漁祈願に立ち寄るなど、潮田村及び遠近の村里沿岸一帯の鎮護となりました。
境内由緒書き より。
神社入口
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正13年(1924)建立)
神額
開墾地蔵尊庚申様