日枝神社

横浜市鶴見区矢向4-16-2 (令和6年9月24日)

東経139度41分08.75秒、北緯35度31分48.07秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR南武線・尻手駅の北北西400m程の辺り、矢向の街中に鎮座しております。

御祭神 大山咋命

由緒
当神社は滋賀県大津の日吉神社の御分霊を勧請したもので、山王大権現、山王社等と称され、寛永15年(1638)の創立と云い、古えは矢向村、市場村、江ケ崎村、塚越村、古川村、下平間村、上平間村の七ヵ村の鎮守であった。元別当寺だった同所の最願寺に存している棟札に依ると、寛永15年(1638)、寛文3年(1663)、享保10年(1725)、天明2年(1782)、文化7年(1810)等の各年代に造立が行われ各時代に亘って七ヵ村の造立する處とされていたが天保(1830〜1843)の末に至っては各村は分離し、当神社は矢向一村の鎮守となったのである。その後、徳川氏に至って若干の社地を寄進せられて神田耕地と称する所があったと云われるが、これが当神社の領地であったらしい。
往時鶴見川、六郷川の氾濫で度々社殿は破損した事もあったが天保14年(1843)に再建し、明治6年(1873)村社に列せられ山王社を改めて日枝神社と改称し、明治42年(1909)12月1日無格社十二柱神、神明社、稲荷社の三社を併合の上大正11年(1922)10月6日、神饌幣帛料供進社(国又は市町村から産物を献納する)に指定された。
その後、昭和21年(1946)8月に宗教法人となり、昭和32年(1957)8月には氏子崇敬者の赤誠によって御社殿の改修が行われ今日に至っている。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文化2年(1805)建立)

神額


絵馬