冨塚八幡宮

横浜市戸塚区戸塚町3828 (平成24年7月8日)

東経139度31分54.71秒、北緯35度23分25.42秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR戸塚駅より東海道を南下、徒歩10数分の所、東海道に面して鎮座しています。狛犬の台座には「鶴見村 吉六 石工 藤澤驛 甚内」とあります。飯嶋吉六が企画し、甚内が彫ったのでしょう。

御祭神 誉田別命・富属彦命

御由緒
前九年役平定のための源頼義、義家父子が奥州下向の途次、当地に露営し、夢に応神天皇及び富属彦命の信託を蒙り、その加護によって戦功を収めたので、延久四年(1072)富塚山中腹に社殿を営み両祭神を勧請したものである。後に鎌倉権五郎景政の臣・戸塚修六友晴は、当社の霊験の灼なるを畏み、応徳三年に社殿を再建した。現在の本殿は天保十一年、拝殿は昭和九年の改築になる。
富属彦命は相模国造弟武彦の二世の孫で、境内山頂の古墳がその墓と伝え、これを富塚(トミツカ)と称し、やがて「トツカ」となったのが「戸塚」の地名の起りと伝える。明治六年十二月、戸塚区内唯一の郷社に列せられている。
神奈川県神社庁>冨塚八幡宮 より

境内には松尾芭蕉の句碑があります。「鎌倉を生きて出でけむ初松魚(はつがつお)」
江戸っ子に珍重された初鰹は、当時鎌倉に水揚げされて戸塚を通り、江戸へ運ばれました。その情景をうたった松尾芭蕉の句碑が嘉永二年(西暦1849年)戸塚の俳人たちによって建てられています。
句碑:当神社公式サイト より)

境内由緒書きはこちら。

神社入口。手前は東海道。

社号標 玉垣親柱

石燈籠・文政9年(1826)丙戌4月

手水舎 神輿庫

参道階段

拝殿

拝殿前の江戸流れ。保存状態も良く素晴らしい江戸狛です。拡大写真はこちら。
(天保12年(1841)歳次辛丑秋8月建立)

拝殿内部

左右の脇障子
玉守稲荷社 富塚天神社

御嶽大権現

庚申塔

芭蕉の句碑。「鎌倉を生きて出でけむ初松魚(はつがつお)」

御朱印