横浜市西区岡野2−4−15(平成19年1月28日)
この神社は帷子川に架かる沼野橋の北角、岡野中学の南400mに鎮座しています。
御祭神:大物主神、稲荷大神
例祭:8月6日
由緒:弘化4年 (1847) 、三河国碧海郡川島村の太田佐兵衛さんが、武蔵国久良岐郡横浜浦に新田開発を計画し、讃岐国象頭山金刀比羅大権現へ祈願。大変な苦労の末、遂に開発に成功したので神助に感謝し、象頭山へ登山、その御神体を受けて新田総鎮守として金比羅神社を創建しました。安政6年
(1859) には太田新田の太田一丁目より同八丁目迄入舟町と改まり、以上九ヶ町の総鎮守となりました。慶応2年
(1866) 、末広町より出火、旧緑町に移転しました。明治6年、相生町3丁目より出火、その折当社も類焼にかかったので伊勢山へ鎮座しましたが、大正12年の関東大震災に遭遇し、神殿悉く焼失した為、昭和3年、中区新山下町3丁目52番地に移転の止むなきに至りました。昭和15年には近隣の豊川稲荷社を合祀し、岡野神社と改称しました。昭和20年5月の大空襲で焼失しましたが、同27年現在の社殿が再建されました。
元来、岡野の里は、往時入海で、旧記によれば天保 (1830〜1843) の初め頃から陸地が少し現れ、保土ヶ谷駅帷子の里に住んでいた岡野勘四郎氏が埋め立てを始め、次々に新田として開拓したもので、明治34年横浜市に編入。現在の様な地形となりましたが、住む人は未だ少なかったようです。
神社入口 |
社殿 |
社殿内の様子 |