杉山神社

横浜市港北区新羽町2576 (平成24年5月23日)

東経139度36分40.68秒、北緯35度31分31.78秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
横浜市営地下鉄ブルーライン「新羽」駅より西方へ徒歩10分程の所に鎮座しています。この神社境内で注目したのは狛犬、そして石仏像でした。仏像を見ますと像の光背上部に3体とも「熊野」という文字が彫られています。熊野社を合祀しています。その時こちらの境内に移ったのでしょう。昔は神仏習合ですので・・・・・熊野神社の本地仏は千手観音(第一殿)、薬師如来(第二殿)、阿弥陀如来(第三殿)。頭部の盛り上がった形、肉髻(にっけい)があるのが如来形。左右の仏像が如来と分かります。立像は来迎印(らいごういん)、上げた腕が破損してしまっているが、阿弥陀如来と分かります。他方は薬師如来となります。薬壺を持っているとしました。「右手を施無畏」は強度を考え両手で壺を持っている。中央は千手観音の代わりに聖観音(第八殿の本地仏、本地仏の観音様の中では一番シンプル)。千手観音はこの大きさでは彫れなかったようです。十一面観音(第四殿)、如意輪観音(第七殿)も同様に彫れなかったでしょう。宝永2年(1705)の阿弥陀如来立像には「新葉村」と彫られています。その後のものは「新羽村」となり現在まで続いています。拝殿内部を見ますと熊野神社として造られたと思われます。

御祭神 日本武尊
配神 火産霊神・澳津彦神・澳津姫神・伊弉冊命・速玉男命・事解男命・天照皇大神

新羽(にっぱ)郷総鎮守
明治41年村内の3社、荒神社、熊野社、太神宮を合祀し、現在の社地にお遷し申し上げ新羽村総鎮守産土神として現在に至る。
当神社 由緒 より

日本武尊は景行天皇の皇子であられ年若くして西に熊襲を平らげ、東に蝦夷を討伐して国内を平定せられた偉大な功績は普く知られております。
明治四十一年村内の三社、荒神社、熊野社、太神宮を合祀し、現在の社地にお遷し申し上げ新羽村の総鎮守産土神(氏神様)として、五穀豊穣、家運隆盛、商売繁盛、家内安全、無病息災、厄難消除等の神として御霊験あらたかにましまし、衣食住等人間生活の根源を開発指導せられ文化の生みの親神でありこの地方に生を享ける者としては、夢寐にも忘れることのできない大恩神にあられせられます。
境内由緒書き より

杉山神社の史籍に於ける初見は、延喜式神明帳に武蔵国都筑郡、杉山神社とあり。当社の由緒は明らかでないが、口碑に伝えるに其の創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代、景行天皇の御代四十年、東方十二国御平定の折、日本武尊、此の地方を御通過され、尊崩御の後、村民其の御徳を慕い奉りて祠を造り奉斎したと云う。明治六年、村社に列格、同四十一年、村内の無格社荒神社、熊野社、皇大神宮を合併し、大正九年、神饌幣帛料供進社に指定された。戦後宗教法人として今日に至る。
神奈川県神社庁>杉山神社 より

参道入り口

参道
神馬像 手水舎

拝殿

良い面構えの江戸尾立。拡大写真はこちら。
(文化10年(1813)癸酉7月吉日建立)

拝殿内部。狛犬の木鼻でしょうか。

奥殿


不道明王・御嶽神社・金比羅社

石仏

戦没者慰霊碑

御朱印