横浜市港北区新羽町3918 (平成24年5月23日)
東経139度36分23.08秒、北緯35度31分50.2秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
新羽町内には杉山神社が2社鎮座しています。1社は新羽郷総鎮守で宮司さんがおります。こちらは北新羽総鎮守で通称北杉山神社で先の宮司さんが兼務なされている?。三輪明神分霊ですが、なぜか杉山神社と称す。
両杉山神社参拝路
御祭神 大己貴命(別名、大国主命・大黒様・葦原色許男など)
御由緒
神社明細帳によると、応永二年六月、三輪神道の先駆者横地監物が大和国三輪明神の御分霊をこの地に遷し、泰栄山正一位杉山大明神と称し、この地を美和台と伝える。奉斎以来、この地のみは奇蹟的に雹の被災を免がれ・・・云々とある。
昭和五十一年四月、不慮の火災に合うも、氏子崇敬者献身奉仕により、同五十四年九月、荘厳堅牢な社殿を完成。遷座式を斎行した。
昭和六十一年十月、大国主命の尊像を青銅にて奉製、参拝者の開運招福を祈念する。
神奈川県神社庁>杉山神社 より
狛鼠について(大己貴命と鼠について)
根の国訪問
大己貴命が須佐之男命の所に行きますと、その娘の須勢理毘賣が出でて見えて、目を合わして、相婚して帰り入りました。娘は父に申して言うには、「甚だ麗わしい神が来ました」と。父は「此は葦原色許男と謂うのだ」と言って、すぐに呼び入れて・・・・・・大己貴命に試練を課し、それに堪えられたら結婚を認めようと言います。その一つが鳴鏑を大野の中へ射入りて、其の矢を探し取って来るように命令しました。そこで、大己貴命が其の野に入った時、すぐに、火を持って其の野を迴り焼きました。そこで、大己貴命が出る所を知らないでいると、鼠が来て「内は富良富良、外は須夫須夫」此のように言いました。大己貴命がそこを踏むと、落ちて隠れ入る間に、火は焼け過ぎてしまいました。そこで、其の鼠は其の鳴鏑を持って咋って、出て来て奉まつりました。其の矢の羽は、其の鼠の子等が皆で喫ってしまいました。
「内者富良富良【此四字以音】外者須夫須夫【此四字以音巳】」は分からずいろいろな訳があります。わざわざ読みを指定しているのですが・・・・
原文
故隨詔命而。參到須佐之男命之御所者。其女須勢理毘賣出見。爲 目合而相婚。還入。白其父言。甚麗神來。爾其大神出見而告。此者謂之葦原色許男。即喚入而。令寢其蛇室。於是其妻須勢理毘賣命以蛇比禮【二字以音】授其夫云。其蛇將咋。以此比禮三擧打撥。故如教者。蛇 自靜故。平寢出之。亦來 日夜者。入呉公與蜂室。亦授呉公蜂之比禮。教如先故。平出之。亦鳴鏑射入大野之中。令採其矢。故人其野時。即以火迴燒其野。於是不知所出之間。鼠來云。内者富良富良【此四字以音】外者須夫須夫【此四字以音巳】如此言故。蹈其處者。落隱入之間。火者燒過。爾其鼠咋持其鳴鏑。出來而奉也。其矢羽者。其鼠子等皆喫也。
参道入り口
社号標 | 案内板 |
参道
拝殿
女性用 | 男性用 |
(平成14年(2002)10月吉日建立) |
拝殿前の江戸流れ。拡大写真はこちら。 | |
(石工 鳥山 足立光一 昭和36年(1961)10月建立) |
本殿
青銅造日本一 大黒様尊像
末社
稲荷社
飾り瓦