駒林神社

横浜市港北区日吉本町2-25-5 (平成23年6月24日)

東経139度38分22.9秒、北緯35度32分59.56秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東急東横線「日吉」駅より西へ徒歩15分程の距離、最寄駅は横浜市営地下鉄「日吉本町」駅で徒歩10分程。境内には管理人さんの住まいらしきものは有りましたが、社務所は無く神社のしおりは賽銭箱の上にありました。狛犬は天保9(1838)戊戌年2月吉 日 石工 見橋 飯嶋吉六のもの。狛犬の台座に刻まれた「嶋」の字、かっこつけて? 山が鳥の上にあります。

御祭神 天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・十二天神(じゅうにてんじん)・伊弉那岐命(いざなぎのみこと)・誉田別命(ほむだわけのみこと)・妙義山神(みょうぎさんじん)

御由緒
 菅原道真公を主神とする駒林神社 (旧中駒林村天神社) は、天台宗別当金蔵寺の兼務であった。創祀年代は不詳だが明応三年の覚書 (金蔵寺) の中に、「中村天神社」の名があるところから、それ以前に創祀されたことが推定される。
 新編武蔵風土記稿に「天神社、字中村にあり、中分の鎮守なり、前に石段三十三段、石の鳥居をたつ、社前に拝殿あり、三間に二間半、神体木の坐像にて一尺許」とある。
 明治十五年四月、天照大神と天満大神を合併、村名に因んで「駒林神社」と改めた。
 大正三年十二月五日、八幡神社、十二天神社、熊野神社、妙義山神社の四社を合併、昭和三十六年に慶応義塾より三畝二十九歩を買いうけ、翌年、新築社殿に加え社務所及び境内を整備した。昭和三十九年十月、江戸城外濠の廃石を氏子の協力で申し受け、境内の石垣とした。
神奈川県神社庁>駒林神社 より

御祭神
菅原道真公(二座) 天満天神社
大日霊貴命 天照大神
誉田別命 八幡神社
伊弉那岐命 熊野神社
妙義山神
天神七代地神五代の神 十二天神社

由緒沿革
菅原道真公を主神とする駒林神社(旧中駒林村天神社)は、天台宗別当金蔵寺の兼務であった。神社に関する覚書等は度々の寺の火災等により焼失されたと伝うるので、創祀年代は不詳だが、免れた明応三年の覚書の中に、中村天神社の名がある所からそれ以前に創祀されたことが推定される。新編武蔵風土記稿に『天神社、字中村にあり、中分の鎮守なり前に石段三十三段を設、石の鳥居をたつ、社前に拝殿あり、三間に二間半、神体木の坐像にて一尺許』とある。境内の八幡鳥居には寛政八年九月別当金蔵寺と記名がある。明治十五年四月、天照大神と天満大神を合併、大正二年十月と記名の社頭石碑に、『村社駒林神社鎮守』とある所から、此頃旧村名に因んで社名を駒林神社と改めたと見られる。
大正三年十二月五日八幡神社、十二天神社、熊野神社、妙義山神の四社を合併、昭和三十六年に慶応義塾より隣地三畝二十九歩を買いうけ、翌年新築社殿に加え社務所及境内を整備した。昭和三十九年十月、江戸城外濠の廃石を氏子の協力で申し受け、境内石垣の大工事を完了した。
境内由緒書き より

神社入口。石垣は江戸城外濠の廃石。

昭和三十九年は東京オリンピック開催の年。それに合わせ首都高速外濠環状線建設の為、江戸城外濠の一部が取り崩され、それが此の地で生きているようです。

鳥居

境内

手水舎

拝殿

流石と言うべきか。素晴らしい江戸流れ。拡大写真はこちら。
(石工 見橋 飯嶌吉六 天保9年(1838)戊戌2月吉日建立)

稲荷神社

大勢至菩薩像