横浜市磯子区杉田5-2-1 (令和6年12月26日)
東経139度37分23.22秒、北緯35度22分43.82秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR根岸線・新杉田駅の南600m程の辺り、杉田の街中に鎮座しております。
御祭神 誉田別尊
由緒
永承5年(1051)源頼義公が陸奥守として、その子義家公と共に勅を奉じ奥州に赴き、安倍宗任を討ち貞任を降して奥州の乱(前九年の役)を平定しました。
その戦勝を祝し、父子は相談し、出陣に際し源氏の氏神としてご加護を祈願した山城國(京都)の石清水八幡宮を勧請し、父源頼義公は相模國由比郷に若宮八幡宮(現・鶴岡八幡宮)を、子源義家公は武蔵國杉田郷に若宮八幡宮(現・杉田八幡宮)を創建し、永く源氏の武運長久を祈願しました。その時が康平6年(1063)8月と云われています。
年を経て建久3年(1192)右大将源頼義公より社領を授けられ、久良岐郡の総社と定められました。
延宝2年(1674)に時の領主間宮左衛門尉信廣公が社殿を再興、永一貫三百文の田園及び山林を寄進して久良岐郡12箇村(寺下、中里、栗木、中原、雑色、公田、磯子、門前、滝頭、根岸、芝生)の総社となりました。
同年、同所に日蓮宗一宇を建立し、間宮山妙観寺と名付け、当社の別当としました。
天文5年(1740)9月、間宮家が他所に移住するに至り、当社も衰退し、総社の名を自ら廃滅することとなりました。
明治4年(1871)神仏分離令により、妙観寺は当社別当職を解かれました。明治6年(1873)、村社に列せられました。
境内由緒書き より。
参道入口
境内入口
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和15年(1940)8月吉日建立)
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(元禄5年(1692)建立)
拝殿
神額
左右の脇障子
屋根上の飛狛
忠魂碑と境内社
猿田彦大神